2000年2月9日自分独りで創業しました。37歳・妻1人・子供1人 売り上げは、3億9000万円も稼ぎました。この日に何も想い入れはなく、「物産ダイレクトマーケティング」と言う会社に在籍中だったので、あせって、流れのままに登記した日です。世界一のノベルティ屋になることを心に誓い、 1.歴史に残るような物を作る 2.天文学的な数字になるくらいの量を作る 3.何でも作る、断らない をなんとなく決めました。社名は1万個ぐらい考え、悩みに悩み、占いで見てもらったり、すったもんだした結果、自分の名前の健三の「ゾウ」の部分を動物の「象」に転換し英語にして、「健」をカタカナ変換して、合体したのが社名のなりそめです。入居したビルは、築80年の最高にかっこいい建物でした。1階はほぼ同時期に入居した、臼引きの超こだわりのお蕎麦屋さんでした。もうありませんが、本当に美味しいお蕎麦でした。場所は、八重洲冨士屋ホルのすぐ近くでした。独立したくてしょうがなかったので、最高にハッピーな気持ちとあせる気持ちが交差する毎日でした。
社員も7人に増えて、毎日戦争的な生活を送っていました。売り上げは、10億の壁を破り、この勢いならもしかして!と勘違いしていました。客先の新規開拓や、仕入先の管理などに明け暮れ、「中国にいるか?客先にいるか?サンプル買っているか?」という、ぶっ飛んだ毎日でした。。会社をつぶさないようにするのに必死で、当時の記憶はほとんどありません。仕事の武器は、とにかく安く安く見積もりを出し、コンペに全て勝つことを目標にしていました。新規で、ビクターさんがスポンサードしていた「2002 FIFAワールドカップ」のノベルティをやらせていただいたことが最大のニュースでした。なんと、小学校の同級生である澤田が担当者だったのです。小学校のクラス会があり、自分は不参加でしたが、イトチンと言う友達が参加しており、そこで偶然にも澤田とノベルティの話をし、ケンエレファントのことを言ってくれたのです。澤田・イトチンありがとう!!!
社員も10人になりましたが、ますます無茶苦茶な日々を送っていました。売り上げは、9億7000万です!ここから、海洋堂ボトルキャップフィギュアの快進撃が始まり、これを武器にビッククライアントを開拓していきました。結局、2010年まで続き、計34タイトル、フィギュア総生産数1億5000万個も作ってしまいました。2002年は海洋堂企画は1タイトルだけでした。一番最初に海洋堂企画を決めてくれた、サッポロビール飲料様!ありがとうございました。
社員は12人になりましたが、まったく落ち着きません。売り上げは、15億4000万です。大手ビールメーカーさんとの取引が拡大し始め、発注数に比例して不良品やクレームの山を築いてしまいました。いっぱいの愛と仕事をいただいたサッポロビール様!ありがとうございました。感謝してもしきれません。いろんなことにチャレンジさせていただきました。海洋堂企画ー4タイトル コンビニで一番最初に採用していただきましたファミリーマート様、いろんなことを教わりました。ありがたいことです。
社員は、16名になり、部署が分かれ、がむしゃらにやって売り上げは、19億です。ビールやペットボトル飲料のベタ付け景品を死ぬほど作りました。クーラーバックも累計で500万個ぐらい作りました。ドンシボリオーネグッツも300種類ぐらい作りました。海洋堂企画ー5タイトルベネチアビェンナーレに参加。会社を神保町に引っ越し、今度は新築のビルで、特許事務所ビルの中にあり、前が公園で窓がデカイ素敵なオフィスでした。
社員、バイトで20人。売り上げは、信じられないような32億3000万です。全て、スポットの積み重ねでした。世の中、コンビニ景品戦争でした。もう何がなんだか分からず、毎日つっ走ってました。いわゆる、24時間働けますか?状態で、何でもオマケをつければ売れるような景品バブルの世の中でした。 ニュージーランドのWATAスタジオに原型監修の為,2回も行ってしまいました。 海洋堂企画ー11タイトル。 ちなみに9年間のトータルの客先別タイトル数は、 セブン-イレブン-11タイトル、サッポロビール-9タイトル サントリー-7タイトル、ローソン-4タイトル、 ファミリーマート-3タイトル、コカコーラ-1タイトル、 計34タイトル
社員は17名で、現在まで、人も人数も変わらずです。売り上げは、17億8000万です。コールマンからライセンスを取り、たくさん作らせていただきました。少し落ち着いてきましたが、まだまだイケイケな感じで社員皆頑張っていました。 海洋堂企画ー8タイトル
売り上げは、14億です。不安と緊張の日々でした。何ごともバブルははじける物で、公正取引委員会より、景品のブラインド手法は違法であるとの通達が流通各所に流れ、これを期にノベルティは、全て中身が見えるパッケージになり、販売促進の効果を落として行きました。ノベルティ専門会社としては、致命的出来事でした。海洋堂企画ー3タイトル
売り上げは、7億7000万で、大ピンチで、もう毎日毎日打ち合わせ、打ち合わせの日々でした。景品の仕事はドンドン無くなりましたが、じわじわ来ていた危機感と行動が一致しませんでした。次に打つ手を模索している、暗黒時代の到来です。しかし、プレミアムインセンティブショーに初出展したところ、今までの顧客とは違う客先がたくさん開拓できました。これ以降、2012年まで出展しました。海洋堂企画ー1タイトル
売り上げは、6億3000万まで落ち込み、まさにつぶれる寸前でした。毎日、社員と面談していました。社員一同でやれることは全てやり、どうにか持ちこたえ、まだノベルティの可能性を信じて行動しました。海洋堂企画ー1タイトル
売り上げは、8億8000万になり、最悪の状態は切り抜け、ホビー業界/デザイン雑貨業界等の新たな業界に進出できました。「特撮リボルテック」を発売し、ワンダーフェステバルにもこれ以降出展しています。デザイナーズウィークに出展。ギフトショー出展以降も出てます。 海洋堂企画ー1タイトル
売り上げは、10億7000万です。 世の中の空気が、物を付ける販促策に対して、完全にNO!になり、ノベルティ会社から「世界を面白くする」会社にすることを決断しました。全ての行動が、この経営理念に基づいた仕事に変わり、日々変化し、リスクを自らとって行くやり方に変えました。 「NPO法人NEWSED PROJECT」設立。会社を神保町から猿楽町に引っ越す。引っ越しを期に、会社の内装をikmoに頼み、廃材で作る、パンチカラーの素晴らしいオフィスができました部署を、クリエイティブ事業部、ホビー事業部、ニューズド事業部に分けました。デザインタイド出展。海洋堂展・特撮店開催。
売り上げは、12億7000万です。プロパー商品が柱に育ってきました。 「リボルテックタケヤ」発売開始。「北海道フィギュアみやげ」発売開始。 組織的には 【ホビー・ライセンス事業部】 特撮リボルテック/リボルテック TAKEYA 【スーベニア事業部】 北海道プロジェクト/スーベニアカプセル/空港プロジェクト/ ノベルティデザイン/くじプロジェクト/スーベニアラボ 【NEWSED PROJECT】 NEWSED/UPCYCLE LABEL/CLIENT WORKS/NEWSED UPCYCLE DESIGN AWARD になりました。
2013年は、「世界を面白くしていく」ことを常に考え、アイデアを出し、行動し結果を出しました。 スーベニア事業部は、「北海道フィギュアみやげ2」、「北海道ランド」、「雪祭りグッツ」、「アロハヨコハマガチャ」、「手芸ガチャ」を、 ニューズド事業部、「台湾デザイナーズウィーク出展」、「NEWSED展開催」、 「トランスアートに参加」、「クリエーターコラボワークショップ開催」、「アップサイクルアワードの開催」を、 ホビー部は、「リボルテックキティ」、「マイリトルモンスター」を発売しました。
2014年はたくさんの商品を出す予定です。テーマは、「お笑いプロダクトメーカー」です。御期待下さい!
金の時計 西麻布にあったクラブ「Yellow」の限定モデル。「デジタルが時計が好きで、とくに金色が成金ぽくていい。あえて、ださいカッコしてるときに付ける」(社長)。酪農大学時代はすすきので黒服のバイトをしていたほどのクラブ好きの社長。「Yellowも大好きなクラブだったので、そのスピリッツを忘れないようにしているんです」(社長)。 閉じる
ポスタルコの文房具 ニューヨークで発足した社長の大好きな文房具ブランド。「スゴイなと思うブランドでも、だいたいみんな萎んでいくじゃないですか? でもポスタルコは、出て来たときからずっとテンション変わらずガッチリやっていて、そういう物の作り方をわれわれの見本にしたいなと思っています」(社長)。 閉じる
社長はすっごい会議打ち合わせが好きで、 ヒドいときには1日中やってます 本田さん(ほんださん) 経理&総務をひとりでこなすスーパーウーマン。 ケンエレ社内の受付嬢、本田さん。 石山とは前職で同じ会社でした。彼が独立して数年後、人手が足りないから助けてほしいと言われて、2005年4月からケンエレファントで経理として働くことになりました。 私が入った頃はノベルティの仕事が全盛で、スタッフはまだ10人ほどとおおよそいまの半分でしたが、事務所は現在の1/3ぐらいの広さだったので、誰が会社にいるかいないかは一望できる規模でした。 当時は、経理的にはとてもたいへんでした。売上が毎月ゼロからスタートで、今月の案件が終わりると来月はまたゼロから。何か案件が決まれば売上が発生しますが、それも波があるし、販管費などの経費関係はコンスタントに出て行くので、赤字になったり黒字になったり。いまはある程度、毎月利益が見込めるリボルテックがあり、それに加えてニューズドの売上やスーベニアの案件があって、経営的にはだいぶ安定してきたと思います。 社長はすっごい会議打ち合わせが好きで、ヒドいときには1日中やってます。社員全員で打ち合わせなんてこともあって、電話は鳴るわ人は来るわ、てんやわんやだったことがありました。そうやって、社員から上がってきた意見は、みんなが納得できるまで話しています。 ケンエレファントはノベルティの仕事がなくなってから、みんなで考えて考えて考えて、多種多様な仕事を始めていろんな意味で進化しています。入社したとき、まさかガチャガチャやるんなんて想像もしてなかったですから。社長自身が1カ所にとどまることをいちばん嫌っているので、数年後も恐らく「えっ!?」っていうようなことになっていると思います。ひそかに私は、それを期待しています。 社長は普通を嫌う人で、子供がそのまま成長したみたいな(笑)。言い出したら聞かないし、昨日はあんなこと言ってたのに今日はこんなこと言ってるっていうのは昔からしょっちゅう。でも、こういう仕事をする上において、それは大事なことですからね。ピュアな部分が残ってる証です。それに、いろんな分野に首を突っ込んで、展示会やら美術館やらどこへでも行って、とてもよく勉強しています。 そんな会社ですから、私は経理なのに自分の机に座っているだけでは仕事にならないんです。各部署の営業や社長のところへ出向いて行って、いま何やってるのか情報収集しないと会社の動きがわからないんです。まわりまわって一番最後に結果が出るのは私のところですから、早めに情報収集しないと取り返しのつかないことになります。 |経理&管理部| CONTINUE 閉じる
万博手帳 ケンエレファントが新しく手掛ける超地域密着型の手帳、「神田万博手帳」。手帳の基本的な機能の他に、神田の行事をみっちり記載。写真もふんだんに使って、神田の魅力を余すところなく紹介。「これからも、いろんな街で万博手帳をつくっていきます」(社長)。それの第1弾。 閉じる
ダルマ 1月3日に川越で開催されているダルマ市で購入したダルマ。「ダルマってすこしずつ表情が違うんです。このダルマで気に入ってるのが眉毛の部分で、漢字の"寿"が横になっている」(社長)。目を社員全員で描いていて、それが「今年も頑張ろう!」という想いの象徴になっているとか。 閉じる
青いダルマ ケンエレファント設立から3~4年後のバブル期に製作されたダルマ。代々のケンエレ社用車のペイントを一手に引き受けるピンストライパー、Ghost氏特製のケンエレオリジナルのピンストライプダルマ。ちなみに現在の社用車、トヨタのエスティマにもGhost氏によるロゴが描かれている。 閉じる
-----「ノベルティ」から始まったケンエレファント----- 2000年にケンエレファントを設立してから、10年ほどはノベルティ、つまり景品を専門に仕事をしてきました。きっかけは、ケンエレファントを始める前に在籍した会社です。そこは何でもひとりでやらせる会社だったので、ゼロから収益を上げるまで、ひと通りのビジネスの流れを勉強させてもらったんですが、バブルが終わるとあっけなく解散。ラッキーにも、自分がやっていたノベルティ事業は、コンビニが急成長していくタイミングで、コンビニに入ってるメーカーさんにも景品をいっぱい作っていて売上も伸びていたので、自分がそのままお客さんを抱えて独立できることになりました。それがケンエレファントの始まりです。 当初はB to Bがメインで、酒屋さんに1ケースでも多く買ってもらえるようにジャンパーやTシャツを付けたり、ほとんどの飲料水メーカーとペットボトルに付ける景品の仕事をさせてもらいました。ひとつの契約が決まれば億単位の大きな額が動く業界だったので、他がやってない面白い企画を懸命に考えて、われわれは順調にノベルティ専門の会社としてやっていました。 ところがそこに、景品を隠して配布するブラインド商法が「消費者の射幸心をあおる」とみなされ公正取引委員会から注意を受けて使えなくなったんです。すると、それまでの当てもの感が一気になくなってノベルティがすごい勢いで廃れてしまいました。それがいまから5~6年前のこと。 閉じる
ホリデーインの看板 LEGO製の看板。物を買うのが好きな社長が、独立後最初に購入したグッズのひとつ。「独立して上司がいなくなったので、古道具とか好きなものを好きなだけ買っていましたんですが、どれも散逸してしまって、今でも残っているのはこれぐらいしかない」(社長)。アメリカのダイナーの雰囲気を感じられるデザインがお気に入り。 閉じる
-----ケンエレファントの理念、「世界を面白くしていく」とは?----- ノベルティは稼ぐための手段としてやっていましたが、それが廃れていったことがケンエレファントにとって良い転機になりました。ずっといっしょにノベルティの仕事をしていた海洋堂が、彼らの技術力を使って「特撮リボルテック」というフィギュアのシリーズを作り、いっしょにやらないかと声をかけてもらったのが、初めてプロパーの商品を扱う機会でした。それ以来、「この会社の使命は何か?」「ミッションは何か?」とずっと考えてきて、3年前に「世界を面白くしていく」という経営理念を思いつき、その瞬間からバァーっといろいろなことができるようになりました。お金のためだけの仕事はやらずに、「世界を面白くしていく」という理念に基づいた活動だけをする、そう決めました。そうしないと、うちの会社の存在理由はないと思ってます。 「世界を面白くしていく」というのは、つまり誰かをずっと喜ばせていきたいということです。そして関わったクリエイターたちとも、面白いことをやっていきたい。例え、最初は分不相応に見える大きなアイデアでも、本気でやれる人たちと同じ方向を向いていたら必ず実現すると思います。世界が面白くなるなら、アイデアは盗まれたって他の誰がやったっていいと思って、いつも思いついたことはどんどん人に言っています。それで実現しなかったら自分に縁がなかったということで、また他のことをやればいいだけですから。 閉じる
-----ケンエレファント、次の15年へ向けて----- これからはどんどん実績を積み重ねて、世界で売れる物を作りたい。うちのような会社は、国内だけを相手にやっていくのはこのさき難しくなるでしょうから、日本での売り上げ半分、世界の売り上げ半分ぐらいにしていきたいと思ってます。TPPで関税もなくなってくるわけだし。それに「世界を面白くしていく」という枠なら、国籍関係なくどんなクリエイターとでも仕事ができます。アジアの空港でスーベニア事業をやったり、国によってはフィギュアをアートとして売り込んでいったり、どの事業部もいろいろと挑戦を始めています。ノベルティだけをやっていたときと違って、いまは自分たちでリスクを負い、持てるノウハウを全て注ぎ込んで商品を作り、それによって成功も失敗も経験しています。その経験を活かして、今までなかったような、誰もが幸せになり笑いがこぼれる商品を作る「お笑いプロダクトメーカー」を目指しています。 また近い将来、廃墟ビルを買い取ってそこに世界一カッコいい店を作ることも考えてます。あとは、動物園もやりたい。ワシントン条約で動物の輸入も制限され、動物園の未来はけっして明るくありません。昔から好きなドリトル先生の話に出て来た、あんな夢のある動物園をやりたい。そうやって、これからも少しでも世界を面白くして行きたいと思っています。 石山健三(いしやまけんぞう) 1962年生まれ。週末はほぼラグビー。ポジションは6番フランカー。 閉じる