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春がいっぱい

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2022.03.22

05 まゆちゃんとしょうごくん

南阿沙美

写真集『MATSUOKA!』『島根のOL』で注目される写真家・南阿沙美が心動かされた「ふたり」をテーマにしたエッセイ連載。友人、夫婦、ユニット、親子、人と動物など、属性を超えて、ふたりのあいだの気配を描き出す。毎月2回更新予定。

まゆちゃんとしょうごくん

九州に初めて行ったのは15年くらい前で、札幌時代の友人まゆちゃんが当時の彼氏しょうご君と犬2頭、福岡の糸島という地域でティピというインディアンテントで暮らしていた。水道も電気もない場所で、お腹が空いたら薪を割って火を起こし、雨が降ったらヤッターと言って食べたあとの食器をテントの外に出して洗った。トイレも手作りで、水の入ったペットボトルに油性ペンで「ウォシュレット」と書かれたものが置いてあった。直接かけるスタイルだった。私はそこで6月の1週間と少しを過ごした。朝は明るくなってくるとカエルや虫や鳥の鳴き声で目が覚めて、テントの隙間から入ってくるきれいな光がどこで起きる朝よりも気持ちが良かった。
糸島では、車で色々なところにも出かけて、「つまんでご卵(つまんでごらん)」という地元の美味しい卵屋さんの看板を見たりお店にも行ったりした。どうしても「つまんでご卵(つまんでごたまご)」と読んでしまうのだが、その「ごたまご」という音感が私はどうにも好きで、今でもスーパーで卵を買う時は頭の中でごたまご買わなきゃ、ごたまごごたまご、と考えてそれと同時に糸島の車から見た風景を思い出す。
ちなみに、福岡の能古の島というフェリーで10分くらいで行ける小さな島にも遊びに行ったのだが、能古の島にあった地名、〝弁当〟というのが現時点で私の好きな地名ランキング1位である。弁当から来ました、とか弁当に帰るとか、言ってみたい。

 

まゆちゃんはその後しばらくして、学校の先生になる為に北海道に戻った。しょうご君とは、糸島を離れることとは別の理由で別れたようだった。

 

一度私が東京から札幌に帰ったときに家に遊びにいって、久しぶりに会うまゆちゃんのひざの上にはまだ小さい1人目の子供が抱っこされて座っていた。まゆちゃんは大学生である元教え子と結婚して力を合わせて家族になっていた。

その時にまゆちゃんの火傷の跡を見せてもらった。コンビニでお湯の注がれた2人分のカップラーメンを持っていたまゆちゃんが、しょうごくんがちょっと車を移動しようとした時のエンストの急停車で熱湯が太ももにかかってしまったときのものらしい。熱くてたまらず駐車場で転げ回ったという話を聞かせてもらった。
そのまゆちゃんの元気な怒りっぷりのいい思い出話というか思い出跡は、まだ痛々しくもありその身体で生きていることのたくましさも感じた。

それからときどき、Facebookで大きくなった男の子の写真や、2人目の女の子が生まれて育っている投稿を見かけていた。
ところが最近、「結婚しました!」という投稿があった。え、離婚してたのか。そしてよく見ると、その結婚しましたのまゆちゃんの隣に写っている男の人はしょうご君なのであった。そして今まゆちゃんと子供2人としょうご君がいるのは糸島であることがわかった。
驚いてまゆちゃんに久しぶりにメールをする。相変わらず元気でラブアンドピースな感じでハッピーで、そして私はその春に福岡に行くからまた糸島で会おうと約束をした。子供もいるからか、さすがに今はテントではない普通の家に住んでいるらしい。
コロナで県をまたいでの移動がよろしくない雰囲気になり、チャンスを窺いながらあっという間に1年経ち、次の春、また連絡をした。今は長崎の諫早の古い民家で暮らしているようだ。

長崎は、なんとなくいつか行ってみたい町だった。行ってみたい町はたくさんあるけれど、旅行でどこに行くというよりは、誰かに会いに行く、のが私はきっと好きで、その友だちのいる場所にその町がある。
福岡から佐賀をちょっと通り過ぎ、長崎の諫早市を目指す。ナビの案内のもと、ピンの打たれた友だちの住む家まで車を走らせる。石垣でできた段畑がとてもきれい。海も見えてくる。地図を見ると諫早は大村湾と有明海と橘湾の3つの海に囲まれていて、くねくね曲がり道を進んでいると、見えているのがどの海なのか、私にはまだわからない。
糸島とも違う、北海道の今まで訪れた町とも違う、東北でも関西とも山陰とも違う、はじめてきた!という実感がすごくある、諫早の高来町のおうちに、到着した。
私たちの他に、しょうごくんの友だちの家族も先に来ているという。車を降りるとを何かを焼いている煙越しにしょうごくんらしき人が見えて、嬉しくなり手を大きく振って近づいていくと、縁側のほうからまゆちゃんも現れた。少し歳老いた白と黒柄の犬もいて、すぐに、糸島のときに私も一緒に過ごさせてもらったワンとラブちゃんのどちらかだということがわかった。
天気も良くてなんだか美味しそうなものを炭で焼いているし、家はやたらでかいし、その向こうの庭のような畑、先に来ていたはじめましての空くんファミリー(奥さんのなぎちゃんと、男の子2人)、白いネコ2匹、たぶん前に会った赤ちゃんが小学生になった男の子とその妹、到着したその場所から私に向かって見えてやってくるそれらの、大量の、色々な豊かに、私はあ~、とか わ~、とか、声で漏らしていかないと簡単に破裂してしまいそうな状態になっていた。

大人は食事の準備、子供たちは走り回り、動物たちも好きに過ごしてもう色々なことが動いているなかに合流したので、私も広い庭を歩いたり時々縁側に座ったりしながら、もうここにある家族に動きながら混ざっていく。しょうごくんの声も私の記憶と変わらない。何やら忙しく物を運んだりしているまゆちゃんと、昨日の続きみたいにおしゃべりしながら、夕方から夜になり、子供たちが大騒ぎする中しょうごくんと空くんが今度は台所で料理をし続け、私はいつの間にか眠り、朝起きるとみんなあっちこっちで寝ているようでよく見ると家族ごとでくっついていた。

まゆちゃんは動物の皮を使ったバッグなどを作っていているのだが、最近、長崎のイノシシ猟で捕られたイノシシの、本来捨てられる皮を使って製品にできないか取り組みを初めたところで、1泊目の翌朝、捕られた鳥獣を食肉に処理している場所に一緒に連れてってもらった。既にきれいに剝がされた、イノシシの皮は、その内部は食べものとしてどこかで誰かが食べ、その包んでいた皮だけを目の当たりにすると、ひとつの命の内部と外側の境界であったものとして見え、命の物体性について少し考えてしまう。持ち帰ったイノシシの皮は製品にする過程で何日が塩水に浸けておくようで、家に戻ってしょうごくんが水と塩を準備して、みんなでまぜて溶かした。
天気がよく、塩水に浸かっていく皮はキラキラだった。
家の外でのんびりしている琉球犬の血が入った犬はラブちゃんで、私が15年前糸島で過ごしたときは1、2歳だったんだろうか、長生きしてとっても偉い。ワンとラブの2頭は、まゆちゃんが北海道へ帰ったあとはしょうごくんが福岡でずっと一緒にいて、ワンはあるときいなくなってそのまま帰ってこなかったらしい。
みんなちょっとずつ歳をとっているけれど、久しぶりの再会で犬だけが、老いる時間の早さが違って、ラブちゃんだけを見ていると少しだけ未来にタイムスリップした気持ちになる。
もっと時間が経ったような、すごく時間が経ったのにまた会えたような気がして、よけいに嬉しかった。
地方の友だちの家は安い家賃で一軒家を借りていることが多くて、家賃の負担が少なくその分時間もゆっくり暮らしていることがとてもいいなと思う。今まで聞いたら1万円しない人もいたから、安くてびっくりする準備万端でこの家はおいくらなのか聞いてみたところ、まさかの0円だった。安い!と言えず、「ないのか!」という驚き。住んでくれるだけありがたいと、持ち主からは自由に改装していいと言われて好きにやっているらしい。しかし、シロアリ大量事件とか、なかなか大変なこともあるようだ。まだ手をつけてなくて客間にしようと思っているという2階の大きな窓からは有明海が見えて、ぜひ次来るまでにはよろしくと心の中でお願いしておいた。

まゆちゃんと2人になったときに、しょうごくんと再結成するまでのことを聞いた。今はほんとうに幸せだ、と言っていた。
2泊させてもらい、帰る日の朝早くに子供たちが学校と保育園へ出かけた。大人と動物だけになった平日の午前中、2人の写真を撮らせてもらった。
メンバーが増えたり減ったり再編成したり、いま2人が一緒にいる時間が分厚い。

南阿沙美

Asami MINAMI
写真家。写真集『MATSUOKA!』(Pipe Publishing 2019)『島根のOL』(salon cojica 2019)。
ホームレス支援活動もしておりみなさまの捨てるのもったいない不要品回収中!

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