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2022.03.18

03 角田 純 [後編]

大森克己

写真家・大森克己が、いま会いたい人に会いにいく。


アトリエからクルマで15分ほど走ったところの自宅。玄関へのアプローチの敷石も裏山から角田さん自ら切り出して並べられたもの。

 

自宅近くの畑にて、近所に住むグラフィック・デザイナーの樋口裕馬さんと。樋口さんはムックリを一緒に演奏する仲間でもある。

 

角田さんの絵って「抽象」だよね。「具象」っていうか、そういう絵は描かないけれど、その2つは角田さんにとってどう違うの?

「それはさ、写すか写さないか」「見たものをそのまま写すのが具象じゃん。中学生とか高校の頃にジョン・レノンとかジミヘンとか、好きなミュージシャンやスポーツ選手の写真を見て似顔絵っつうか、肖像画を書いてたんだよね。で、それはめちゃ楽しかったんだよ。だって好きだからさ。でも美大の受験とかで石膏デッサンとか人に言われて、命令されて描くのは面倒くさいって思ったんだよね。技術はあるんだけどさ、好きでもないものを描くのはただ時間がかかるだけで面白くないんだよ。で、自分はもっと感覚を形にしたい、感じたイメージを形にしたいって思っているんだ。」「見たものを写すのは、ただ作業になっちゃって、だったら写真でいいじゃん、って」

 

感じたイメージ、ってたとえば?

「オオモリも来たことあるけれど、以前、板橋にアトリエがあったときに、あの坂の上を歩いていた時に突風に煽られて、あー、海の中にいるみたい、って思ってさ、なんか、緑の風みたいなイメージを感じるんだよね」

 

へー、面白い!あの絵はそうなのか。

「もし技術があれば音楽でもいいんだよ。というかもともと音楽がやりたかった」「絵よりも音楽に憧れて美大にいったからさ」「好きなミュージシャンの経歴を調べてみると、みんなアートスクール出身って書いてあって、ビートルズとかトーキング・ヘッズとか」「で、実際バンドもやってたんだけど、いかんせん技術が伸びない。ピアノを弾くにしても、オレ左利きだから、主旋律を左手で弾きたい。楽器が上手くならない。同級生と一緒に始めて、そいつの方が上手くなっていく。だからノイズとかに向かうんだけど、やっぱり自分が伝えたい感覚が思うように楽器で表現できなくてね」

角田さん、左利きなんだよね。

「字は右で書く。ハネとか点の打ち方が右利き前提になっているからさ、文字って」「で、字を左で書くと、たとえば、信じるの信、にんべんと言が鏡に映ったみたいに反転して知覚しているのを更に矯正して書かなきゃいけないから、ちょっと面倒なんだよね」「それ以外はライターに火を点けたり、缶を開けたりとかぜんぶ左でやる。もちろん絵を描くのも左」「30過ぎてから奈良(美智)さんに云われたんだけど『角田さん、いいなあって』ミケランジェロとかダ・ヴィンチとかラファエロとか左利きで、奈良さんが彼らが書いたような線や影を描こうとしても、奈良さんは右利きだから難しいらしいんだよ」

 

え、左利きと右利きで線や影は違うの?

「左利きの画家は、左上から右下に斜めの線を入れて影を作っていく」「で、右利きは反対に右上から左下にむけて斜めの線をいれるんだよね」

 

めちゃ面白いな、この話。でもさあ、角田さんの作品には絵の中に文字が出て来たりするじゃん。それはどうしてんのかな?

「ある一定の大きさ、まあ10cmくらいの大きさまでは右で描いてるんだけど、それが大きくなって抽象度が上がっていくと左で描く。簡単にいっちゃうと、手のレヴェルだと右で、身体のレヴェルだと左で描く。文字はね」「だから、あのひらがなで詩を描いているシリーズの作品は右で文字を描いているんだけど、作品の中に出てくる線は、やっぱり左で描くんだよ」

 

ビックリするな。自分が右利きだから、ボクはその感覚を当然と思ってしまっていて・・・

「文字の作品や、ペインティングの中に文字がある作品も作っているけど、自分がことばを信じている訳じゃないんだよね。世の中というか、人って文章の方を信じるよね。でも、それってぜんぜん自分は思ってなくて」「ただ形として字は面白いとこどもの頃から感じていて。小学生の時に大阪万博(1970)に親父に連れていってもらった時に、外国人がたくさん来てるじゃん。それで、いろんな人にサインをもらって字を集めたんだよ。『プリーズ・サイン!』って。自分が見たことのない形が宝物で、意味を知りたいとは思わなくて、フォルムに興味があったんだよね」「文字を解体したい。みんな意味を決める、それを解体したい」


1980年度の『河合塾美術研究所』パンフレット

 

角田さん、社会ってどういう風に思ってるの?

「人間が集まって経済を回すのが社会」「デザインをやっていたのは、社会を見てみたい、社会のパワーバランスを見てみたいって思ってたからで、デザインに興味があった訳じゃないんだよ」「社会性のある人っていうのは、架空の世界だけしか知らないから、上手く立回って、合わせてやっていける訳じゃん。俺はそういうのめんどくさいから。社会って個の集まりのことで、実体はないよね。社会のなかで演じることに、そもそも全部関わる必要はない。自分が食える分だけ関われば」「だからデザインで自分の個性うんぬん、っていうのはナンセンスだよね」

 

デザイナーになったきっかけとかあるのかな?

「美大の頃、トゥオンブリーを知って『なんだよ、そもそも落書きでいいじゃん』って、俺こっち行こう、とは思ってたんだけど」「卒業してどうしようかっていうときに、当時、日本人で唯一、尊敬できる人が横尾忠則さんで、あこがれていて、横尾さんもデザイナーだったからね」「さすがに自分の好きな、たとえば抽象表現主義とか終わっている時代だし、食わなきゃいけないからね」

 

でも結局、絵に戻って来るよね。

「リチャード・プリンスがパルコギャラリーの個展のために来日して、作品集『4 x 4』(1997)のデザインを頼まれた時にプリンスと会ったのは大きかったな。『アーティストになれ』って言われた。いま思うと、その頃、仕事がたくさんある時ほど絵を描いていた。描いていないとヤバい、っていうのが自分の中にあったなあ」「デザインっていうのは発注がある訳で、最後は他人のジャッジでしょ。それは面倒で、絵の中のことは誰も何も云わない」

 

京都で大学の先生をしばらくやってたよね?

「大学時代から、予備校の講師をアルバイトでやっていて、名古屋の河合塾で。奈良さんも同じ時に。月50、60万稼いでいたかな。デッサンとか平面構成とか、技術を教えるのは上手かったんだよ。技術はまったく隠さないで、どんどん教えるよ。自分より上手くなる人が出てくると良いな、って思ってやるんだよ。それで、その人からまた教えてもらいたい」「でも大学はしんどかったな。教えるのは密(みつ)に教えないと伝わらないんだよ。『何を描いたら良いんですか』は教えられないしね。画材や技法は教えれるんだけれど」「すぐに成功したがるから」「たとえば恭平(坂口恭平)は教え甲斐がある。素直だし、まず、言った通りやるから。自分の感覚的な何かが人を通して伝わっていくのは面白いよ」

 

角田さんの大きな絵を見たいって、前から思ってたんだけど、このアトリエなら、今までなかったスケール感の作品が出てくるんじゃないかって、楽しみなんだけど。

「去年の5月に落合から引っ越して、壁を塗ったり、やらなきゃいけないことがいろいろあって、やっと絵を描く環境が整って来たところだから、これから、ちょっと変わっていく予感はあるんだよね」「いま自分が芸術家って言われると、ちょっと困るかな。もっといいヤツを作っとかないと(笑)」

ドキドキするね!

 


7年前から本格的にムックリの演奏に取り組んでいる

 

角田 純 つのだ・じゅん
1960年愛知県生まれ。多摩美術大学卒業。 1980年代から広告・出版業界でアート・ディレクターとして活躍。 1990年代以降画家としての活動を開始。2009年作品集『Cave』(フォイル)を刊行。12年「抽象と形態:どこまでも顕れないもの」(DIC川村記念美術館、千葉)に参加。デザイナーで活動の際は、角田純一名義になる。
http://www.juntsunoda.com/

[Exhibition]
Solo exhibition
2019 “A New Career In A New Town” Parcel, Tokyo
2018 “Little Stone Disappear” gallery trax, Yamanashi
2o18 “Muddy mouth” TETOKA, Tokyo
2017 “Hollow Organ” Curator’s Cube, Tokyo
2017 “SOUND AND VISION” POST, Tokyo / NEW ALTERNATIVE, Kagoshima
2016 “Dust to Dust” CLEAR EDITION & GALLERY, Tokyo
2016 “over my head” NOMA t.d. Store
2014 “looking for water” TETOKA, Tokyo
2014 “document” studio 35 minutes, Tokyo
2014 “Vision, Water and Leaf” gallery trax, Yamanashi
2012 “Moon in June” gallery trax, Yamanashi
2010 “nyoiju” FOIL GALLERY, Tokyo
2010 “yama-biko” gallery trax, Yamanashi
2009 “Sounding through” FOIL GALLERY, Tokyo
2008 “Jun Tsunoda” FOIL GALLERY, Tokyo
2004 “EXODUS” gallery trax, Yamanashi
1998 “TRANSMISSION” STARNET gallery, Tochigi
“MIND VIBES” gallery ROCKET, Tokyo
1996 “RAINBOW STONE” gallery trax, Yamanashi
1994 “ANCIENT & MODERN” gallery trax, Yamanashi

Group exhibition
2019 “Looking for 4th dimensions:Dalí etc. and 21st century dialogue” Morohashi Museum of Modern Art, Fukushima
2018 “25th Anniversary in Gallery Trax vol.2” gallery trax, Yamanashi
2017 “Trax Selection” with Akane Nakajima, gallery trax, Yamanashi
2017 “Photograph, Painting and Music” with Katsumi Omori, studio 35 minutes, Tokyo
2015 “THE WORKS” CLEAR EDITION & GALLERY, Tokyo
2015 “Trax Selection 2015” gallery trax, Yamanashi
2012 “The Unseen Relationship : Form and Abstraction” Kawamura Memorial DIC Museum of Art
2009 “Trax Selection” gallery trax, Yamanashi
2008 “Trax Selection” gallery trax, Yamanashi
2007 “FOIL vol.1 “Co-exist”” FOIL GALLERY, Tokyo
2000 Westzonegalleryspace Culturalties Exhibition, London

[Publications]
2017 “SOUND AND VISION” Jun Tsunoda (torch press)
2009 “Cave” art works by Jun Tsunoda (FOIL)
2000 “MEXICO ICONS” (ASPECT) co-published with Ichiro Ono。

 

大森克己

写真家
1963年、兵庫県神戸市生まれ。

1994年『GOOD TRIPS,BAD TRIPS』で第3回写真新世紀優秀賞(ロバート・フランク、飯沢耕太郎選)を受賞。

近年の主な個展「sounds and things」(MEM 2014)「when the memory leaves you」(MEM 2015)「山の音」(テラススクエア 2018)など。

主な参加グループ展に東京都写真美術館「路上から世界を変えていく」(東京都写真美術館 2013)「GARDENS OF THE WORLD 」(Museum Rietberg, Zurich 2016)などがある。
主な作品集に『サナヨラ』(愛育社 2006)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー 2011)『心眼 柳家権太楼』(平凡社 2020)など。

YUKI『まばたき』、サニーデイ・サービス『the CITY』などのジャケット写真や「BRUTUS」「MUSICA」「花椿」などのエディトリアルでも多くの撮影を行っている。


1997年から2022年まで様々なメディアで発表してきたエッセイ、ノンフィクション、書評、映画評、詩、対談などにコロナ禍の日々を綴った日記を加えた、言葉、記録と記憶の一冊『山の音』(プレジデント社)を7月28日刊行


photo by フォートウエノ