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2021.08.26

赤い腕時計の女

豊田道倫

 女が死んだと知ったのはTwitterを開いた時だった。
 去年会った女。
 いや、会ったというべきか、女は歌うたいであったからライブを聴きに行った。
 死んだことにほとんど驚いていない自分がいた。

 京都のライブハウスの店員でもあった女は自分が出演した時にそこで会っていたはずだが、その記憶は全くない。
 ある時、大阪のライブハウスへ終演後に飲みに友人と立ち寄った際に酔ってひどく陽気な女がいて、大声で話しかけられて驚いた。
「好きなんですよー」と言われたが、一応シンガーソングライターの先輩である自分への社交辞令に聞こえた。先輩後輩って意識するのは下らないことだけど。
 その時の陽気さにひるんでしまったが後からふと女のことが気になって、知り合いに女のことを聞くと普段ライブハウスで働いている時はどちらかというと内気なくらいで、酒が入ると豹変すると知った。様々な夜の武勇伝がありそうだけど、その部分には興味がなかった。酒の力で何か引き起こすことは知らなくていい。ただ、高知出身であることはちゃんとインプットした。激しく生きるひとなんだろうなと。
 かつてはメジャーレーベルからアルバムを出していた女の歌をYouTubeで探してみて聴いていた。昭和歌謡の匂いや、いかにもというフォーキーな佇まいは好みではなかったけれど、ハットを被って背筋を伸ばして歌う女の立ち姿は格好良かった。歌手としての技量はそこらのプロに引けを取らない。ベタだけど洒脱さがあり、骨太なひとだなと思った。
 京都でライブをする機会がありその時に共演出来たらと思い、TwitterのDMから連絡してみた。日程が合わなくて実現出来なかったけれど、文面だとまるで堅い事務員のような女の言葉とのやり取りからは素はシャイで丁寧なひとなんだと知った。
 いつかどこかで共演出来るんだろうなと思っていた。

 去年の春、大阪に越していきなりコロナ禍となり夜は街に出ることもほとんどなかったが、隣の区の西成は近いので時々自転車で出掛けることがあった。
 夏のある夜、自分も演奏したことがある立ち飲み屋で女のライブがあることを知った。
 その日は息子の学習塾の入塾の説明があり、先にそれを済ませてから向かった。
 ライブは二部制で、二部が始まってから少し過ぎた頃に店に入った。
 観客はおっさん達が十人くらいか、コロナのせいか、普段からこんなものなのかわからないけれど、狭い店なので十人もお客さんがいたら、何となく埋まってる感じにはなる。
 女はスタッフや観客と軽口を叩きながら歌っていた。酒場のライブだなと思いながら、少し客観的になりながらもその雰囲気と流れに身をゆだねて聴いた。白いアコースティック・ギターの音はあんまり良く鳴っていなかった。弦はしばらく交換していないんだろうと思った。
 それでも背筋が良く声も出てる。ただ、女の顔がこんなに老けてたっけと思った。五十となった自分よりも少し若いくらいかなと思っていたが今回の訃報で女の年齢を知ったら、まだ四十代前半だった。酒が顔を老けさせていたのだろうか。あるいは別の要因があったのかもしれない。
 演奏が終わり、投げ銭の籠が回ってきた。思っていたよりいい歌が聴けなかったので、五百円玉一枚のみを入れた。他のおっさん客らは千円札をガンガン入れていた。そこからお店の取り分を除いても、一日の稼ぎとしてはそこそこ悪くない金額になったのではと思った。
 女はこの店では何度も歌っているので、おっさん客らには顔なじみなようで人気があった。一緒に飲むには明るい酒の女はどこでもひとに好かれるのはわかる。
 しばらくしたらジュースを飲んでいる自分のところにやって来て、「大阪に戻って来たんですね。知らなかったです。今度対バンしましょうよ」と言われたが、酒の入った女の軽い言葉が肌に居心地悪くて、「百年早いわ」とつい言ってしまった。
 女のように酒場で歌い、酔客に愛される歌い手を馬鹿にしているわけではない。そのような場でしか生まれない何かがあるし、それは自分にはないものなのであるけど、一緒にライブをやる気持ちにはその時はなれなかった。
 女は少し不貞腐れたのか猫のようにさっと離れて、なじみのお客さんに酒を奢ってもらえるのかそっちに行った。おっさん客の一人はApple Watchをはめていた。ここ、西成の釜ヶ崎で飲んでいるひとがこの辺りの住民かどうかは案外わからない。気分を味わいに離れた町から足を運んでいる案外小金持ちの遊び人も多いように思う。
 しばらくしてまた戻って来た。今度はお互いの近況、今のコロナ禍での活動のことなど軽く話した。
「あなたは結婚とか、子供、家族とか興味ないんだよね」
「うん、いらん」
「いいね、存分に生きれるし、飲める」
「うん」
 投げ銭で飲める金は稼いだはずなのに、お客さんにまた酒をご馳走になることを狙っている女だったが、その目当てのお客さんが誰かとちょっとした口論になっていてそれを諌めようとしていた。
「あんなんほっとけばいいよ」と自分は言ったが、「彼から酒をご馳走にならなあかんねん」と女は言っていた。酒飲みの強欲さに少し呆れたが、これが酒場の流儀なのかとも思った。男と女、おっさんと歌い手の女との間の。

 しばらくして、「じゃ、帰るわ」と言った自分を店の前まで送ってくれた女は「道倫さん、またね」とはじめて名前で呼んだ。自分もつい「麻紀さん、元気で」と返した。
 ほんの一瞬だったが歌い手同志になれた気がした。
 そのまま真っすぐ帰らず自転車でアーケイドをうろうろしていたら、おっさん客の自転車の後ろに乗って駅に向かう女を見た。京都に帰るにはそろそろ終電の時間だった。
 ギターを抱えて横座りに乗る女はしたたかに酔っていて、子供のように無邪気に幸せそうに見えた。

 女がはめていた腕時計は赤いプラスチック製のものだった。大人の女性なら身に着けないような安い物に見えたが、それを着けて京都から大阪に歌いに来た女の気持ちはどんなものだったのだろうか。歌い手として誇りを持っていたはずだ。赤い腕時計はそんな顔つきをしていた。
 今となっては、ただただ淋しい。

豊田道倫

とよたみちのり
1970年生まれ。1995年にTIME BOMBからパラダイス・ガラージ名義でCDデビュー。以後、ソロ名義含めて多くのアルバムを発表。単行本は2冊発表。今年はCDとトートバッグ『春のレコード』、雑文と日記と未発表曲歌詞を集めたZINE『キッチンにて2』を自身のレーベル【25時】から発表。新作アルバム『たくさん、ゆっくり、話したい』を先行デジタルリリース、8/25にフィジカル盤も発売となる。

photo by 倉科直弘