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2021.09.27

眠剤入りラーメンを食べながら

豊田道倫

 彼が東京から離れて、音楽をやめてしまったのがまだ信じられないし、それによって世界が何も変わらなかったことも信じられない。
 だけど、それは本当のこと。

 彼に会ったのは去年の春だった。最初で最後のような出会いと別れ。
 彼のライブには何度も通っていて、その日はバンドではなく、ソロの演奏の日でお客さんも少なかったので、終演後に声を掛けた。
 ビールを飲んでいた彼と少し話した。
 陽気を装っていたけど虚ろな目をしていて、ちゃんと目を見てくれなかったけど、ライブハウスに来る女の子にしては珍しい野暮ったい服や鞄は気になったのか少し見ていた。私は彼より2つ、3つ年下だけどため口で話した。
 今日はじめて聴いた曲が気になって、その歌詞カードが欲しいと言ったら、「これはもう歌わないかも」とあっさりくれた。
「可愛い女の子は嫌いだ」と言っていた。
 だから可愛くない私と話してくれたのかもしれない。
「あなたの歌はシリアスなことを歌ってるようで冗談めかしたところもあり、その絶妙なバランスは他にはないもので、でもそれは人が生き抜くための術だと思う。音楽に詳しくない私にも必要なものなの」
と言って、名前と電話番号だけ書いた紙を渡した。
 彼はそれを無造作にジーンズの前のポケットにぐちゃっと突っ込んだ。
 帰り際に「どこの出身?」と聞かれて、「東京のはしっこ」と答えると「ふーん、いいね」と言って、「じゃあ」とを手を振って別れた。

 連絡なんか来ないと思っていたけど、それから一ヶ月ほどして、急にショートメールが彼から届いた。映画を見終わって、一人で街にいるという。
 仕事から帰ってアパートでいつものようにストロングゼロを飲んでいただけだったので、すぐに会いに向かった。
 街で会った彼はライブハウスで見るのとは少し違っていて、その感じは説明しにくいのだけど、ステージに立って演奏している時よりミュージシャンの感じがした。
 彼が時々行くというグルテンフリーのカレー屋に行き、カレー、サラダ、ビールを頼んだ。彼は今日は飲まないと言って、コーラを注文した。
 食べながら、最近誰かのライブに行った話など私がしているのを彼はじっと聞いていたけど、急に「もうすぐ地元に帰るよ」とぼそっと言って、思わず私は「なんでよー!」と、少し芝居じみたような大げさな声を出してしまった。
「んー、もうすぐ30になるから」と彼は静かに言った。
 会社員なのか派遣なのかバイトなのか正確には知らないけど、彼が勤め人をしながら音楽をやってて、雑誌に出たり、有名なフェスに出演したりするバンドではなかったけど、世の中の物事をわかっている女の子は、みんな彼の音楽を知っていると私は思っていて、彼が東京から離れることは死を意味するくらいのことと思った。
 彼の出身地は北の方の小さな街で、その風景は私には想像もつかなかった。
「煙草吸える所に行こうか」と言って、コンビニに寄って煙草とお酒と水を買って、私たちは裏のラブホテルに入った。
 ソファもない狭い部屋だけど、小さな丸いテーブルがあり、椅子は緑色だった。そこに向かい合って座り、さっき買ってきた煙草を彼は吸い、私はしばらく禁煙していたけど、彼の煙草を貰って吸ってみた。
 テーブルの灰皿の横に置いてあった、ホテルの名前が印刷されている百円ライターが目に入った。
「これ、貰って帰ってもいいやつだよね」と呟いたら、
「いいけど、外で使いにくくない?」
と言われたけど、私は上品じゃない人間だし平気でどこでも使える。ライブを見ていた時から気づいてはいたけど、彼とは人種が違うんだなあと思った。
 彼はベッドに身体を投げ出して、寝そべりながらベッドパネルの調光を子供のおもちゃのようにいじって真っ暗にしたり、明るくしたり、青くしたり遊んで、ようやく落ち着く色合いの明るさに調節すると私を呼んで、
「普段着けないけど、今日は着ける」
と言って、コンドームを装着して、私達はゆっくり、さらっと、愛しあった。

 少しの間眠ってしまってて、起きたら彼はもう服を着て、椅子に座ってお茶を飲んでいた。
 私はつい素っ裸のままベッドから出そうになったけど、上品な彼に嫌がられるかと思い、バスタオルで一旦身体を隠してから布団から出て、洗面所で服を着た。
 また彼の煙草を貰って吸った。さっきの1本目よりも味が軽くなったように感じた。
 真正面に座る彼は煙草を吸いながらスマホをいじっていた。
「東京から離れても音楽やれるの?」
「バンドは出来ないからね。わかんないな。一人でパソコンで何か作ったりするくらいかな。もう趣味だよね」
 急に彼がひどくつまらない人に思えてきて、思わず顔をそむけた。
 帰れる所があるひとは幸せだ。私には帰る場所もないし、頼れる人もいない。今、目の前の座って虚ろな目で煙草をくゆらせてるのは東京でやっていけなくて、尻尾を巻いて都落ちする負け犬の男。
 ついさっきまで私の身体を執拗に嘘っぽくも切実な手つきで愛撫していた助平な男。
 だけど、そんな彼の音楽を早くこの部屋から出て、一人で聴きたくなっていた。
「こっち来る?」
「え?どこ」
「うちの町」
「田舎?」
「まあ、めっちゃど田舎」
「そんな所で暮らせるわけないじゃん」
「だね。東京育ちだもんね」
と彼は爽やかに笑い飛ばしたけど、この短い会話の中で私は、中卒で何の免許も資格もないのに拾ってくれて、何とか馴染んで2年目の今年はボーナスも出してくれた今の会社を辞めたくはないけど辞めてもいいかも、父親は刑期をもうすぐ終えるからまた会いに来て面倒臭くなりそうだし、どこか遠くに逃げるのもいいかもしれない、人生の岐路となる決断は案外こんな思いつきのようなものでポンと決まったりするのかもしれない、何もない田舎町でも彼のそばにいて時々ギターを弾いてくれるなら、それはそれで幸せかもしれない。
 なんてことを物凄いスピードで思い巡らせていたけど、煙草の火と共にその考えは、灰皿に押し付けて消してしまった。

 彼が東京を離れたと同時にコロナ禍となり、私はそれ以来ライブハウスにも行かなくなり、音楽も殆ど聴かなくなった。
 ただ職場とアパートの往復で、仕事帰りにお酒と適当なものを買って食べる。少し料理も覚えて煮物を作り置きして、酒のつまみにしている。
 夏の終わりに彼からメールが来た。
 タクシードライバーをやっていること。勤務の終わりに地元で流行っている「眠剤入りラーメン」を買って食べるのが楽しみなこと。友人のDJに最近作った曲を送ったら、今夜ラジオで掛けてくれるとのこと。 
 そんなことが簡素に書かれていた。
 ふと、彼のことも彼の音楽も、その存在を忘れかけていたくらい遠い過去のことに感じた。
 部屋にはテレビはなく、ずっとスマホでラジオを小さく流している。彼の新曲が流れる局にチャンネルを合わせて、待った。
 冷蔵庫に冷やしてあったビールを開けた。もうストロングゼロは飲まなくなった。
 日付が変わりそうな頃に若い男のDJが、
「この曲はアーチスト名はなく、ただタイトルしかありません。そのタイトルは、『眠剤入りラーメンを食べながら』です。お聴きください」
と曲を紹介した。
 何も変わらない何てことない彼の歌が流れた。3、4分程の曲だったけど、その間世界一周旅行をしているような気持ちになった。パスポートなんか一生手にしないと思うけど。
 彼はずっと何も変わらない。きっと私も。
 少し笑っていたと思う。

豊田道倫

とよたみちのり
1970年生まれ。1995年にTIME BOMBからパラダイス・ガラージ名義でCDデビュー。以後、ソロ名義含めて多くのアルバムを発表。単行本は2冊発表。

今年はCDとトートバッグ『春のレコード』、雑文と日記と未発表曲歌詞を集めたZINE『キッチンにて2』を自身のレーベル【25時】から発表。

新作アルバム『たくさん、ゆっくり、話したい』を先行デジタルリリース、8月25日にフィジカル盤も発売となる。10月10日に新譜レコ発を大阪なんばベアーズで敢行。共演:久下惠生。

photo by 倉科直弘