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2021.09.16

04 黎明期のAV[1]
AV第一号発売とビデオの普及

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

AV以前にも成人向けビデオは存在した

アダルトビデオ=AVの第一号は、1981年の5月に日本ビデオ映像(みみずくビデオパック)から発売された『ビニ本の女 秘奥覗き』と『OLワレメ白書 熟した秘園』とすることが定説となっている。

しかし90年代までのAVを審査していた団体、日本ビデオ倫理協会(通称 ビデ倫)の発足は、それよりも9年前の1972年(当初は成人ビデオ自主規制倫理懇談会)である。つまり1981年以前にも、成人向けのビデオソフトは存在していたのだ。

日本ビクターが家庭用VHSビデオデッキ第一号を発売したのが1976年だが、それ以前にもビデオソフトは作られていた。

1970年に、ニッポン放送の子会社でありビデオソフト市場にいち早く進出したポニー取締役社長が「1977年には日本のビデオ産業は五千億円市場になる」と演説したことで、ビデオ業界は一躍盛り上がりを見せた。

1971年にビデオ時代の到来を語った『走れビデオ産業 ビデオで儲かる百項目』(森口以佐夫 文藝春秋)には当時の状況がこう書かれている。

ビデオパッケージに名乗りを上げた、日活にしろテイチクにしろ、そしてポニーも、売れているのは成人娯楽用といわれる「ピンクテープ」である。


森口以佐夫『走れビデオ産業 ビデオで儲かる百項目』(1971)

そしてその主な顧客が「全国の温泉マークとモーテル」だと述べられている。こうした宿泊施設の有線テレビで「ピンクテープ」が流されていたわけだ。

では、これがなぜAVの始まりとされていないのかと言えば、この「ピンクテープ」は既存の成人映画をビデオ化したものだったからだ。

しかし劇場公開用の映画をテレビサイズで映すと画面の比率が違うため、両端が切られてしまうといった問題から「ピンクテープ」用に撮り下ろし作品が作られるようになる。オリジナルで制作できるほど、当時は「ピンクテープ」の需要があったということだ。


Uマチック規格のピンクテープ『サファリの女豹』(1978)

この「撮り下ろしピンクテープ」も当初は成人映画と同じ16ミリフィルムで撮影されていたが、次第にVTR撮影へと移っていく。こうした撮り下ろしピンクテープを作っていたのが、後にAV監督として一時代を築く代々木忠だった。

1972年、その代々木忠が監督した『ワイルドパーティ』『火曜日の狂楽』を含む4本の日活の撮り下ろしビデオ作品が徳島県で摘発されてしまう。

これがきっかけで、東映、日活、ジャパン・ビコッテといったソフトメーカーが自主規制団体として成人ビデオ自主規制倫理懇談会、後のビデ倫を発足させることになる。ビデ倫も当初は、販売用作品を審査するのが目的の規制団体ではなかったのだ。

またこれらのメーカーは摘発の事実を重く受け止め、当面の間、撮り下ろしのオリジナル作品の制作を中止し、映倫の審査を受けた成人映画をビデオソフト化したものだけを販売する方針を打ち出した。

そのため70年代後半に家庭用ビデオデッキが販売され、販売用ビデオソフトが注目されるようになっても、しばらくの間は成人映画をビデオソフト化したものしか販売されなかったのだ。

成人ビデオ自主規制倫理懇談会の1973年の年間審査数は180タイトル。審査済シールの発行枚数は5900枚だったという。

それは「生撮り」と呼ばれた

さて、では『ビニ本の女 秘奥覗き』と『OLワレメ白書 熟した秘園』を、なぜ
AV第一号と呼ぶようになったのか。それは何をもってAVを定義するかという話になる。

ライターの藤木TDCは『アダルトビデオ革命史』(幻冬舎新書)の中で「狭義のAVは基本的にビデオカメラで撮影された映像で、なおかつビデオテープやDVDの形での販売・レンタルを第一目的にした作品群のことを指す」と定義づけている。

従って、宿泊施設で放映するための「ピンクテープ」や、成人映画をビデオソフト化したものは、ここには入らないということになるわけだ。

AVの歴史をまとめた記事としては最初期となると思われるのが、『ビデオプレス』(大亜出版)1983年5月号の「ビデオソフトの登場した日 もうビデオソフトは射程距離!!」だ。この記事では「’80〜’81年初頭・ビデオソフト創世紀」から「’83年・ビデオソフトの基礎固め」まで、この時点でのAVの歴史を追っており、「AV3年史」とも言える内容になっている。書いているのは、「アダルトビデオ」の命名者とされるライターの水津宏だ。

ここで「初めてビデオ撮影作品が市販される」として挙げられるのが『ビニ本の女 秘奥覗き』『OLワレメ白書 熟した秘園』なのである。

この記事が掲載されている『ビデオプレス』は、日本で最初のAV専門誌だ。創刊はこの一年前の1982年4月発売。

その創刊号を見てみると、まだ国産のAVは数が少なかったこともあり、巻頭特集をはじめ海外ポルノの記事が大半を占めている。


『ビデオプレス』創刊号(1982)

そしてこの時点で発売している成人向けビデオソフトを網羅したカタログが掲載されているのだが、前半は「ポルノ・ソフトビデオカタログ」、後半は「生撮りカタログ」となっている。その内訳は「ポルノ・ソフトビデオカタログ」が洋画77本、邦画305本の計382本、「生撮りカタログ」が139本。

ここで分類されている「生撮り」とは、ビデオ撮影された販売用のオリジナルソフトのことを指している。つまり後のアダルトビデオのことだ。

1982年の時点では、このカタログからもわかるように成人映画をビデオソフト化したタイトルが「生撮り」の3倍近くを占めている。まだまだ主流は成人映画だったのだ。

しかしこの創刊号に掲載されている売上ベスト10ランキング(ビデオソフトの総合総社・日本音光調べ)では、1位が「愛染恭子〜めまい」(日本ビデオ映像)、2位が「SM初体験・早見順子の場合」、3位が「SM覗き穴」(GSビデオ)と上位を「生撮り」が独占し、10位以内に6本がランクインしている。

他の記事でも「いま生撮りビデオソフトが爆発的に売れているという」「特に生撮りものに人気が集中している」といった記述が多い。

その理由として「映画のコピーの短縮版ではストーリー展開に無理があって、どうしてもオリジナルに負けてしまうという点。そこで、それなら最初からビデオ用にと登場したものが生撮りということだ」と説明されている。

この頃のビデオソフトは30分が基本のため、成人映画をソフト化するにあたっては大幅にカットした短縮版だった。また前述のように画面をトリミングしなければいけないという問題もあり、ビデオソフトとしては、あまりに不完全なものだったのだ。

アダルトビデオ第一号

話を1981年に戻そう。記念すべきアダルトビデオ第一号、すなわち販売用生撮りビデオ第一号となる『ビニ本の女 秘奥覗き』と『OLワレメ白書 熟した秘園』は、日本ビデオ映像から発売された。30分9800円。


『ビニ本の女 秘奥覗き』(1981)

日本ビデオ映像は1979年に設立され、当初は業務用のビデオソフトの制作・販売をしていた。社員教育用のビデオなども作っていたという。

同社の成人向けブランドである「みみずくビデオパック」から5月に発売されたこの2作だが、販売用生撮りビデオ第一号とはいうものの、ドラマ物として撮られており、内容的には成人映画を短縮してソフト化した作品と、そう大差の無いものであった。出演しているのも青野梨麻や竹村祐佳といったピンク映画やロマンポルノの女優であり、監督もピンク映画を中心に活躍していた稲尾実(深町章)である。

『ビデオプレス』1983年5月号に掲載されている『ビニ本の女 秘奥覗き』の紹介文を見てみよう。

ビニ本専門のカメラマンとその助手が、モデルを相手に痴戯恥態を演じていく。股を開き、秘部をなめるようにしてカメラで覗く。恥ずかしい言葉を投げかけられ、濡れてくるモデル…。ビニ本製作現場の裏舞台を、ビデオカメラが刻明に撮っていくのである。

日本ビデオ映像は、このすぐ後に『ノーパン喫茶の女 いじられたいの』をリリースしている。ビニール本やノーパン喫茶など、当時の性風俗の流行をダイレクトに取り入れるというAVならではの姿勢は黎明期から変わらなかったのだ。

こうしていち早く販売用生撮りビデオ=AVの制作・販売に乗り出した日本ビデオ映像は、黎明期のトップメーカーとして成長していく。特に後述する愛染恭子・代々木忠による一連の作品は、AVという市場を確立させたビックヒットとなったのである。

この頃のAVメーカーは映画会社やレコード会社のビデオ部門や子会社が大半を占めていたが、日本ビデオ映像は脱サラした三人によって設立されたインディペンデントな会社ということもあって、時代の寵児としてマスコミに取り上げられた。業績好調によるボーナス支給額の高い会社として週刊誌の記事にもなっていた。

またセイント・フォーや少女隊、志村香などのアイドルのイメージビデオや、藤波辰爾や長州力などのプロレス物、世界の景色を撮影したBGV、さらには菊池桃子主演の『パンツの穴』、筒井康隆原作の『俗物図鑑』などの映画や『特装機兵ドルバック』などのアニメなど、一般向け作品も精力的にリリースしていたが、1985年に倒産してしまう。

<参考資料>

『アダルトビデオ10年史』(東京三世社、1991)
森口以佐夫『走れビデオ産業 ビデオで儲かる百項目』(文藝春秋、1971)
東良美季『代々木忠 虚実皮膜』(キネマ旬報)
桑原稲敏『切られた猥褻――映倫カット史』(読売新聞社、1993)
藤木TDC『アダルトビデオ革命史』(幻冬舎新書、2009)
「ビデオプレス」1982年6月号、1983年5月号(大亜出版)
「ビデオ・ザ・ワールド」1985年7月号(白夜書房)