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2021.11.01

09 第一次AVブーム[2]
3人の女優のデビュー

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

AV女優の存在を世間に知らしめた小林ひとみ

1986年はAVが社会的認知度を高めた年だと言える。それは3人の重要な女優がデビューしたことが大きかった。

まず2月に『ときめき・かおり19歳』(ダックス)で松本かおりという女優がデビューした。

高校時代から勝新太郎が主宰していた「勝アカデミー」にも通い女優になることを夢見ていた彼女は、水着モデルなどの活動をしていたが、20歳の時にヌード写真集『ときめき』とビデオ『ときめき・かおり19歳』をリリースする。ビデオと言っても、カラミのないソフトなイメージビデオであったが、そのルックスのよさから好調な売上げを記録した。

そしてその5ヶ月後、松本かおりは小林ひとみと改名して『禁じられた関係』(VIP)でAVデビューを飾ることとなる。


『禁じられた関係』(1986)

小林ひとみは上品で整った美貌とスレンダーボディながらも大きく形のよい美巨乳の持ち主でルックス的には当時のAV女優の中でもずば抜けていた。わかりやすい「美女」だったのだ。

「アダルトビデオ業界に突如として現れたスーパーギャル・小林ひとみちゃん(21歳)」と彼女を紹介する『週刊現代』1987年1月1日号の記事を見てみよう。

「どの作品もダントツに出ていますよ。小林ひとみモノは在庫増やさないと間に合いません」
 と、嬉し過ぎる悲鳴をあげるのは池袋西口にあるアイシンビデオのレンタルフロアー責任者・仁木和光氏だ。
 この業界でいうトントンは千本。二千本売れたらヒット、三千本で大ヒット、五千本売れたら鼻血がブブブってとこ。
 業界関係者の話によると、
「小林ひとみはデビューして十二本ビデオを出しているが、全て三千本以上、トータルでは五万本近いはずですよ」
 と言う。
 彼女のビデオを四本出している「VIP」もこう言う。
「一番売れたのがうちから発売した『溺愛』なんですが、最近売り出された『燃えつきるまで』は予約だけで二千本以上になって仰天。新記録は確実でしょうねえ」

この『燃えつきるまで』は、結局一万本以上のヒットとなったと言う。

1986年においての小林ひとみがいかに凄かったのかは、『オレンジ通信』1987年2月号掲載の「AV会社別売り上げベストテン」という記事を見るとよくわかる。メーカー別に1986年度の売上上位10作品をリストにしたものだ。

『週刊現代』でも取材されていたVIPは1位『燃えつきるまで』をはじめとして3位に『溺愛』、7位に『色情』と3タイトルがランクイン。他のメーカーでもアリスジャパンで『ミルキーデビル・邪夢猫』が1位、現映社で『見られたいの』が1位、そして新東宝ビデオでは『天使の唇』が2位、『クライマックスはご一緒に』が4位、『お口に誘って』が6位と3タイトルがランクインしている。正に小林ひとみを撮れば必ず売れるという状況だったのがよくわかるだろう。

それは彼女のギャラの高騰につながった。小林ひとみの出演料が高額だということは業界でも噂となっていた。

 現在アダルトビデオ界のトップ女優といえば、文句なく小林ひとみ嬢。ギャラの面でもおそらくナンバーワンであることは周知の事実だが、さる筋からの情報によると、その彼女のギャラが、とうとう300万円を突破したという。こうなるとそれだけの金額を払えないメーカーも多く、彼女のビデオは特定メーカーからのみしか発売されないというケースも考えられる。小林ひとみ自身の動向もふくめ、今後が興味深い。(『オレンジ通信』1987年4月号)

この時期のAV女優のギャラの相場は20万円から50万円というところ。300万円という金額は常識を超えたものだった。

しかし、それでも作品が売れるならば十分ペイするわけだ。これ以降、人気女優のギャラの相場はどんどんと上がっていった。

そしてそうした金額が報じられることで「AV女優は儲かる」というイメージが広まり、業界に入ってくる女性を増やしたとも言えるだろう。

そして小林ひとみは、週刊誌などの一般マスコミにも数多く登場し「AVクィーン」の異名を取るようになる。また『必殺4 恨みはらします』や『塀の中のプレイボール』と言った一般映画にも出演したり、声優も担当したアニメ『ピンクのカーテン』の主題歌で歌手デビューも飾っている。

業界内に留まらず、AV女優という存在を一般的なものとした最初の女優が小林ひとみだと言ってもいいだろう。

小林ひとみは、1987年にロンドンロケを決行した『熱狂』『失神』『喝采』(VIP)の通称「ロンドン三部作」を発売。AVクィーンとしての頂点を極めるが、1989年に当時の所属プロダクションの社長と結婚し、引退。以降も断続的にAV出演を続けた。


『熱狂』(1987)

清楚なアイドル像を求められた秋元ともみ

小林ひとみが特異な存在だった点として本番をしないことを公言していたことが挙げられる。

AVはその黎明期から「本番」というキーワードが重視されて来たことは何度も書いてきた。

AVの最初のスターである愛染恭子は映画『白日夢』で「本番女優」として名を上げたし、『ミス本番・裕美子19歳』に代表される「美少女本番」ブーム時には、タイトルに「本番」をつけた作品で溢れかえった。

愛染恭子をはじめとして、実際には撮影では本番をしていないことも珍しくなかったのだが、それでも表向きにはその真偽は濁しておくのが常だった。前張りが常識のロマンポルノやピンク映画などの成人映画に対してのAVのアドバンテージがそこにあったからだ。

しかし小林ひとみは、はっきりと自分が撮影では本番をしていないことをインタビューなどで公言していた。

「私、別にホンバンをやってるフリをして、ファンを騙してたわけじゃないんです。ホンバン女優と名乗ったことはないし、ビデオにも『本番』とうたって売ってはいないの。それにインタビューでも、ハッキリと『ホンバンはしていません』と言ってますし。
—-ホンバンには抵抗あるの?
「私、この業界に入ったのはなんとなくなのね。女優へのステップという気持ちはあったけど。それに、一人の女のコとしては、仕事とはいえ、なんで別に好きでもないヒトとやらなければいけないのか、それもみんなが見ている前で、ね」(『週刊宝石』1987年5月22日号)

それでも小林ひとみのAVは売れたのだ。実際に本番をしている女優よりも、ずっと。

ルックスがよければ、本番をしていなくても売れる。小林ひとみはそれを証明した。

そして、売れる女優は本番をしないという状況がしばらく続くことになる。

その象徴的な存在が1986年4月に宇宙企画から『卒業します』でデビューした秋元ともみだった。


『卒業します』(1986)

どこか陰のある物静かな美少女。飛び抜けて整った顔立ちというわけではないのだが、「美少女」という言葉がこれほど似合う女の子はいないのではないだろうかと思わせる雰囲気と魅力があった。

宇宙企画の黄金時代を築いた監督、さいとうまことは、秋元ともみに初めて会った時の印象を、こう語っている。

「面接に来た時、『あっ、これは……!』って思ったね。この子なら僕が思い描く少女像みたいなものを完璧に演じてくれるんじゃないかって思った。制作サイドも、今までの路線じゃなくて『この子はアイドルでいこう』ってことでまとまったし、ともみちゃん本人も、僕の言う『ちょっと悲しげな少女像』みたいなのを気に入ったみたいだったしね。結局すべてが同じ方向に向いて進んだんだ」(東良美季『アダルトビデオジェネレーション』メディアワークス 1999年)

高校時代からファッションモデルをやっていた秋元ともみは、1986年1月に大手町サンケイホールで開催された「第一回ビデオソフト・フェスティバル」(全日本ビデオソフト協会主催)の「ビデオクィーンコンテスト」で審査員特別賞を受賞。そして4月に『卒業します』でAV女優としてデビューを果たす。

『卒業します』は、カラミらしいカラミもない、極めてソフトな内容にもかかわらず、大ヒットを記録する。

ライターの吉本昌弘は『卒業します』の衝撃をこう綴る。

 秋元が始めて〔ママ〕ビデオで僕たちの前に姿を見せてくれた記念的作品—-『卒業します』(宇宙企画)。
 多くのセーラー服ものと言われるビデオがあるけれど、この作品に触れた時、僕は、得体の知れない感動を覚えた。演技や撮影技術の枠を逸した「今」という息ぶきが、秋元の肉体から感じることができたからだ。(『オレンジ通信』1987年2月号)

 そして、二作目の『青空に星いっぱい』は、異例の尾道10日間ロケを敢行。さらに都内でも数日の追加撮影が行われたと言う。30分のAVにそれだけの日数と費用をかけていたのだ。しかもこの作品では、カラミどころかオナニーシーンすらない。尾道の美しい景色の中を制服姿の秋元ともみが佇むという、まるで大林宣彦の映画のようなノスタルジックで叙情的な映像と、彼女が笑顔を浮かべながら自己紹介をするアイドルのビデオのような映像、そしてソフトなヌードシーンで構成されている。

とてもAVとは言えないようなこの作品もまた大ヒットした。『卒業します』『青空に星いっぱい』も異例の2万本以上のセールスを記録したという。

読者投票による『オレンジ通信』1986年度モデルベスト1は、小林ひとみを抑えて、秋元ともみが1位を獲得。一般層を含めた知名度では小林ひとみの方が上だろうが、熱心なファンは秋元ともみの方が多いゆえの結果という印象があった。

ファンが彼女に求めていたのは、思い入れのできる清楚なアイドル性だった。AV女優に「清楚」を求めるというのは矛盾しているように思われるかもしれないが、この時期は小泉今日子が『なんてったってアイドル』を歌い、おニャン子クラブが猛威をふるい、従来のアイドル像が破壊されていた。その代替品として秋元ともみをはじめとする宇宙企画の女優たちが求められたのではないだろうか。

実際の秋元ともみは、男性経験もそれなりにあり、ディスコにも通う「普通の女の子」だった。早川愛美が風俗嬢だった過去を消したように、清楚でどこか陰のある物静かな美少女というイメージは丁寧に作り上げられたものだった。

宇宙企画は、前年にデビューしている早川愛美や、どこかミステリアスな魅力のある麻生澪、そして秋元ともみを専属女優としてメーカーのカラーを確固なものにしていく。前述の『オレンジ通信』1987年2月号の「AV会社別売り上げベストテン」を見ると、宇宙企画は1位の秋元ともみ『卒業します』を筆頭に上位6位までがこの三人の作品が二本ずつランクインしている。

宇宙企画は兄弟会社である英知出版の雑誌と足並みを揃えて彼女たちのアイドル化を推し進めていった。

早川愛美と共に人気テレビ番組「オールナイト・フジ」にレギュラーとなったり、レコードデビューを果たしたり、多くの大学の学園祭に出演したりと、正にアイドルのような活動だった。本職であるAVに関しては『卒業します』『青空に星いっぱい』に加えてデビューシングルと同タイトルの『少女神話』の3本のみ。


秋元ともみ「少女神話」(1987)

AVアイドルと呼ばれたが、むしろヌードも見せるアイドルと言った方が正しかったかもしれない。

しかし1988年1月に所属していたプロダクションが労働者派遣法と職業安定法違反容疑で摘発されたため、その活動も停止せざるをえなくなってしまう。

約一年のブランクの後に活動を再開するも、人気を回復することは出来ずに業界から姿を消すこととなった。

新しいタイプの文化人となった黒木香

この年、小林ひとみや秋元ともみとは、全く違った方向性で社会的認知度を高めた女優もいた。

10月、クリスタル映像から『SMぽいの好き』でデビューした黒木香である。


『SMぽいの好き』(1986)

当時、横浜国立大学教育学部美術学科3年生だったという黒木香は、目鼻立ちのはっきりしたアンニュイなムードの美女であった。

冒頭のインタビューでは「今、大学で美術の理論の勉強をしています。来年の9月にイタリアに行って、もっと深く勉強したいと考えています。〔中略〕私の性に合っているんだと思うんです。絵画、彫刻、建築、近代デザイン、それから映画。すべてイタリアのものなら何でも好き。古いものも新しいものも。〔中略〕イタリアというのは西洋美術の中心ですけども、そこで古典の美術の勉強をして、その後帰ってきたら、今度は西洋美術を勉強した目から比較する形でも東洋美術を真剣に勉強してみたいと思っているんです」と、美術への想いを熱く語っている。これまでのAV女優にはいなかったインテリジェンスを強く感じさせるキャラクターだ。

しかし、黒木香が本当に「これまでにいなかった」AV女優である姿を見せるのは、この後からだった。

水着の日焼け跡がくっきりと見える肩を大胆に出したノースリーブのドレスから、バスローブに着替えた黒木香に、画面の外から「さぁ、それではこれから、あなたとファックをしたいと思います」という言葉が投げかけられる。声の主は、もちろん村西とおる監督である。

そして村西とおるが白いブリーフ一枚の姿で現れ、黒木の脚を大きく広げて股間を、そして胸をはだけさせて乳房を荒々しく揉みしだくと、彼女の様子は一変する。熱い喘ぎ声を漏らし、さっきまで自分の秘裂に挿入されていた村西の指を突き出されると激しくしゃぶる。後はひたすらに快感を貪り、絶叫しながらのたうち回る。さっきまでイタリア美術を語っていた美女と同一人物とは思えないほどの豹変ぶりだった。

そして事前に村西から指示されたように、快感の度合いに合わせて笛を吹く。その激しい乱れ方と、間抜けな笛の音があまりにもミスマッチで、なんとも言えないおかしさがある。

この「感じたら笛を吹く」と言うのは黒木香の代名詞のようになるのだが、実は「笛吹き乙女シリーズ」としては本作は堀川みゆ紀、藤谷佐和子に続いての第3弾にあたる。前2作がそれほど話題にならなかったのに、『SMぽいの好き』が大ヒットしたというのは、ひとえに黒木香の強烈なキャラクターあってのことだった。

村西とおるのユニークな話術は既に一部で話題となっていたが、それが黒木香とのコンビネーションで類を見ない面白さを醸し出していた。それはシュールなコントのようですらあった。

そして、クライマックスは初体験だというアナルセックス。初めてペニスを肛門に受け入れた黒木の反応は限りなくエスカレートしていく。それは快感に悶えるというよりも、狂気の域にまで踏み込んでいるかのようだった。

女性がこんな激しい反応を見せるなど、当時の常識ではあり得なかった。村西とおる自身も撮影後は失敗作だと感じていたと言う。

「それまで女性がああいう雄叫びを上げたり、腰を卍形に切るような攻撃的な、積極的なセックスを行う作品はなかったんですね。女というのはあくまでも受け身的な存在だったから。それで、こんなのは発売してもウケないだろうと思ってた。だって、定番の『やめてください』さえないからね。で、みんなに見せたらだれもがすごい、すごいって言うんですよ。だけど、自分にしたら自信はなかったですね。こんなすごい女がいるんだよっていう茶飲み話にしかならないと思ってた」(『アサヒ芸能』1999年6月10日号)

しかし村西の心配をよそに『SMぽいの好き』は空前のヒットとなる。『別冊宝島 昭和史開封! 男と女の大事件』(宝島社、2015年)に掲載されている当時の村西とおるの片腕的存在であった日比野正明監督の証言によれば、レンタルショップに卸した1万本の他に、購入希望者の現金書留が約7万通もメーカーに直接送りつけられてきたと言う。単純計算で10億円を超える金額である。

イタリア美術を愛する国立大の現役女子大生が、とてつもないセックスを見せる。黒木香の存在にマスコミが飛びついた。ヘルムート・ニュートンのモデルに憧れて伸ばしているという彼女の脇毛も強烈なインパクトがあった。

黒木香は、雑誌はもちろんテレビでも引っ張りだことなった。デフォルメしたようなお嬢様言葉で赤裸々に性愛を語るというそのキャラクターは新鮮だったのだ。『SMぽいの好き』を見ると、しゃべり方自体はそこまで極端ではないので、黒木自身がマスコミのニーズに合わせて変化させていったキャラクターでもあったのだろう。そうした頭の回転の早さもあり、それもまた彼女の魅力だった。
 
 無名の一女子大生が、ほんの一、二ヶ月の間に『アダルトビデオ界の女王』ともてはやされ、週刊誌連載六本、テレビ出演はこの二ヶ月で三十数回というパニックにも近い黒木香現象がいま巻き起こっているのだ。
 突然変異的に発生したこの黒木香ブームは、いままでのアダルトビデオ女優の人気とは明らかに一線を画している。それは彼女と対談するため村上龍、池田満寿夫、中沢新一、ねじめ正一といった当代一の文化人がすばやく登場してきたことからも黒木香の『違い』がうかがわれる。(『週刊現代』1987年8月15日号)

確かにマスコミでの黒木香の扱いは、それまでのピンク女優やAV女優のそれとは明らかに違っていた。

『週刊ポスト』で連載された「黒木香のおスケベ対談」のゲストのラインナップを見てみると、『週刊現代』の記事で挙げられた以外にも栗本慎一郎、泉麻人、大島渚、野坂昭如、細川隆一郎と錚々たる顔ぶれが並んでいる。他にも『朝日ジャーナル』で筑紫哲也と対談したり、『週刊文春』で呉智英と対談連載を持ったりと、「新人類の変わり種」と言った捉えられ方をされていたことがわかる。

さらに使い捨てライターのテンフォーのテレビCMや、西武百貨店の広告ポスターに起用されたり、四国学院大学に特別講師として招かれ「聖と性 生命の深層を求めて」と言う講義をするなど、既存のAV女優からは考えられないジャンルでも活躍した。

ただ、秋元ともみと同じく黒木香のAV出演作は『SMぽいの好き』と、続く『愛虐の宴』、そして実は『SMぽいの好き』以前に撮影されていた本当のデビュー作『SM隷奴』(スタジオ418 黒木薫名義 発売は1986年12月)のわずか3本。彼女の場合もヌードも見せる文化人と言う方が正しかったのかもしれない。

その後、恋愛関係にあった村西とおるとの破局を経て業界を去る。

1994年には、宿泊していた中野のホテルのベランダから転落したことが報じられた。泥酔しての事故であったが、週刊誌などは自殺未遂と書き立てた。
 
1986年、レンタルビデオ店は1万店を突破。そして小林ひとみ、秋元ともみ、黒木香の活躍により、AVはそれまでの一部のマニアのものから、一般的なものへと広がっていく。
 

<参考資料>

『週刊現代』1987年1月1日号、8月15日号、1988年10月8日号(講談社)
『オレンジ通信』1987年2月号、4月号(東京三世社)
『週刊宝石』1987年5月22日号、5月29日号(光文社)
『アサヒ芸能』1999年6月10日号(徳間書店)
『週刊新潮』1988年12月1日号(新潮社)
『80年代AV大全』(双葉社、1999)
東良美季『アダルトビデオジェネレーション』(メディアワークス、1999)
『別冊宝島 昭和史開封! 男と女の大事件』(宝島社、2015)
本橋信宏『アダルトビデオ』(飛鳥新社、1998)
本橋信宏『全裸監督』(太田出版、2016)