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2021.11.10

10 第一次AVブーム[3]
AVアイドルから淫乱女優へ

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

大手5社の支配と大陸書房の参入

1987年から1988年にかけてのAV業界は最初の爛熟期を迎えていたと言えよう。

1987年にはビデ倫の月間審査本数が250本を突破。つまり年間3000タイトルものAVが販売されていることになる。「AVは一千億産業」と言う声も聞こえてきた。

1985年の新風営法施行による風俗店の混乱、摘発によるビニ本、裏本の失速などにより、AVが性産業のトップランナーとしてマスコミなどでも注目されたという背景もある。

それまでビニ本、裏本、裏ビデオの紹介を中心にしていたアダルトメディア情報誌『オレンジ通信』(東京三世社)が、AV中心の誌面になってきたのもこの頃だ。

黎明期のAV業界では、にっかつや大映、東宝などの映画会社系のメーカーや、愛染恭子を擁する日本ビデオ映像などが主流メーカーであったが、この頃には勢力図は大きく変わっていた。
 
カンパニー松尾監督の自伝的マンガ『職業AV監督』(原作・カンパニー松尾 作画・井浦秀夫、秋田書店、1997〜1998年)に当時のAV業界を説明するシーンがある。

1987年にAVメーカーV&Rプランニングに入社した松尾が、広報を外注で引き受けているエロ本系編集プロダクションの小島という男に業界の話を聞いている。

小島「『宇宙』と言や典型的な美少女ソフト路線だ。カラミがないのさえあるからな」
松尾「へー、アダルトなのに?」
小島「メーカーとしてすぐれているのは『KUKI』だろうな。伊勢麟とかジャッキーとかは洒落てる。『芳友舎』なら豊田薫か」
小島「『VIP』と『ジャパン』はただの金もうけ! ただいい女が脱いでればそれでいいのかよ!!」
ナレーション「当時、アダルト業界では『宇宙企画』『VIP』『芳友舎』『KUKI』『ジャパンホームビデオ』が大手5社と呼ばれ圧倒的なシェアを誇り、大きな力をふるっていました」
小島「5社でキャンペーンをはって問屋に圧力かけてるらしい。新興メーカーのビデオを締め出そうとしてるみたいだな」

そのコマには巨大なティラノサウルスに「大手5社」、それを見ている小さなネズミに「V&R」と政治風刺漫画風の絵が描かれている。

さらにその後、ADである松尾が女優のキャスティングに苦労するシーンが出てくる。

ナレーション「大手5社が君臨していた時代は美少女AV全盛の時代でもありました。売るために最も確実なのは売れている女優、もしくは絶対売れるかわいい新人女優をキャスティングすることでした。大手5社同士でも女優を奪い合うので当然ギャラは高くなり、弱小メーカーには手が届かなくなる……と」

そして松尾が電話でプロダクションと交渉していると、こんなことを言われる。

「V&R? おたくはスカトロ系でしょ。うちのコはそーゆーメーカーには出せませんねえ。このコは『VIP』と『ジャパン』で10本決まってるんですよ。一年後の発売だったら考えてもいいスよ」
松尾は電話を切ったあとに叫ぶ。
松尾「クソーッ。今に見てろ! 大手5社なんかぶっつぶしてやるからな!」

後に問題作を連発し業界の風雲児と呼ばれるV&Rプランニングも、そして黒木香で大ヒットを飛ばした村西とおるのクリスタル映像も、業界的に見れば大手5社とは勝負にならない弱小メーカーに過ぎなかったのだ。

それでも、新規のメーカーは次々と参入してきた。

この時期に注目すべき動きとしては、オカルト系の書籍で知られる出版社、大陸書房がピラミッドビデオというブランドで1987年7月にAV業界に参入。しかし、当時の中心だったレンタル市場ではなく、書籍の流通ルートを利用して販売するという新しい手法を編み出したのだ。

冴島奈緒や立原友香など人気女優を起用して、定価は1800円。既存のAVは1万円以上なのでレンタルで見るのが当たり前だったが、購入して手元に置いておきたいというユーザーにとっては、ピラミッドビデオはありがたい存在だったのだ。書店で手軽に買えるというのも大きなポイントだった。

それまでにも、マニア向けの通販ビデオや裏ビデオとAVの間に位置するブラックパック、さらには海賊版など販売用のAVは存在していたが(そもそも1983年以前は販売用のみだった)、ライトユーザーにアピールする「正規の」販売用AVという存在は画期的だった。

とはいえ、この後に拡大路線を狙った大陸書房は多額の負債を抱えて1992年に倒産してしまう。

AV業界と芸能界の接近

1986年にデビューした小林ひとみ、秋元ともみ、そして黒木香の業界の枠を超えた活躍により、一般層もAV業界に注目することとなった。

AV女優になれば有名になれる、AV女優をステップにして芸能界に行けるかもしれない、そう考えた女性がAV業界入りするケースも増えていた。

1987年度の『オレンジ通信』の読者が選ぶモデルベスト1位に輝いた立原友香もその一人で、渋谷でスカウトされた時に女優へのステップだと考えてAV女優になることを決意したというが、なんとその時彼女は処女だったという。

実際に中川えり子が新宿シアタートップスで公演された「えり子 女優宣言」、桂木麻也子が吉祥寺前進座劇場で「みらあじゅ〜時の粒子の現影に」で芝居の舞台にデビューしたり、小林ひとみが草刈正雄主演の映画『塀の中のプレイボール』(松竹)に出演するなど、アダルト系以外の活躍も目立つようになる。


鈴木則文監督『堀の中のプレイボール』(1987)

また、早川愛美『六本木スキャンダル』(ポリドール)、黒木香『小娘日和』(テイチク)、小林ひとみ『ピンクのカーテン』(ビクター)などAV女優のレコードデビューも相次ぐ。


早川愛美『六本木SCANDAL』(1987)

ちなみにAV女優として最初にレコードデビューを果たしたのは杉原光輪子・森田水絵・山口美和による美光水(レイクス)だ。1986年に『SUNSET HIGHWAY』をセンチュリーからリリースしている。

1988年には冴島奈緒・斉藤唯・葉山みどりによるRaCCo組がオールディーズナンバーのカバー『レモンのキッス』(クラウン)でデビュー。当時のAV女優の中でもアイドル性の高い3人ということで、芸能界での活躍も期待されたが、メンバーチェンジが相次ぐなどのトラブルから不発に終わってしまった。

芸能界とAV業界は次第に接近していく。ハワイアン歌手やグラビアアイドルをしていた葉山レイコがAVデビューし、話題となったのもこの頃だ。1988年に『処女宮 うぶ毛のヴィーナス』(ミスクリスティーヌ)が発売され、大ヒットとなる。元芸能人AVの元祖とも言える作品である。実は葉山レイコのAV作品はこの一本のみで、以降はイメージビデオにしか出演していない。


『処女宮 うぶ毛のヴィーナス』(1988)

かわいさとみのデビューもこの流れに入れてもいいのかもしれない。1986年に北原美穂としてデビューし、写真集やイメージビデオ(後にかわいさとみ名義で『ブルーアイランドの風』として発売)などの活動を経て、翌年にかわいさとみと改名して宇宙企画からAVデビューを果たす。

このデビュー作『ぼくの太陽』は9月21日のオリコンビデオチャートで11位、翌週の28日には10位を獲得。一般のビデオチャートにAVがランクインしたのは、これが初めてだった。

葉山レイコと同じく『ぼくの太陽』以降の出演はカラミのないイメージビデオ(ただしビデ倫審査の18禁作品として発売)のみで、すぐに活動の場を芸能界へ移し、『オールナイトフジ』などテレビの深夜番組に出演した。

そして1988年にはシングル『月影・SOINE・CLUB』とアルバム『TYPE=B』でビクターからレコードデビューし、歌手としての活動も開始。音大生ということで歌唱力もあり、活躍が期待されたが、今ひとつ成功を収めることなく芸能界からフェードアウトしてしまう。


かわいさとみ『TYPE=B』(1988)

この時期、AV女優の芸能界への進出が上手くいかなかったのは、芸能界側はあくまでも「AVに出ているエッチな女の子」を求めていたのに、AV女優側は「普通のアイドルと変わらない清楚な可愛い女の子」として売り出そうというギャップがあったからではないだろうか。なにしろこの時期、「清楚系」AVアイドルでは、インタビューで下ネタを禁止するということすらあったのだ。

その一方で過激な下ネタを連発する黒木香は文化人として引っ張りだこになっていた。

一部のAV業界人には「AVで売れれば、その後は普通の芸能人として活動できる」という幻想があったのだろう。

しかし、その壁はまだまだ大きかったのだ。

前代未聞の淫乱ブーム

 1988年の最大の事件は「淫乱」ブームだった。その発端は1987年に代々木忠監督が『いんらんパフォーマンス』シリーズ(アテナ映像)をスタートさせ、その第一弾である『GINZAカリカリ娘』で咲田葵がデビューしたことだった。


『いんらんパフォーマンス GINZAカリカリ娘』(1988)

そのあまりにも激しい感じっぷりは見る者を驚かせた。黒木香のそれとも似ているが彼女があくまでも男性に責められてのM的な激しさとすると咲田葵は、男性を食い尽くすような攻めの激しさだった。

その大胆で派手なセックスは話題となり、咲田葵は「淫乱女優」の異名を取る。『メガトンライブ 核分裂』(SAMM)、『極限FUCK 生入れズッコン』(にっかつビデオフィルムズ)、『男・牝・匂い』(オメガ)、『好き女・もう止まらない』(現映社)、『異常』(サーチ)、『ぶっとび咲田葵の先制口撃』(アリスジャパン)といった彼女の出演作からも、そのイメージは伝わるだろう。

同じく代々木忠監督の『いんらんパフォーマンス』シリーズ『色即是空』でデビューした沖田ゆかりは、当時は珍しかった潮吹きをする女優として話題になる。沖田ゆかり自身は、それほど反応が激しかったわけではなかったのだが、この頃は潮吹き=淫乱というイメージがあったため、彼女も淫乱女優の仲間入りをしていた。

そして『吸淫力 史上最強のワイセツ』で登場したのが豊丸だった。


『吸淫力 史上最強のワイセツ』(1988)

AV監督のラッシャーみよしは、豊丸の印象をこう語っている。

 爬虫類のような顔でガオガオと絶叫し、蛇のようにチンポを飲み込み、精液をガブ飲みし、ダイコンをマ○コの中にズボズボとぶち込み、なんじゃあ、こいつは!?
 出るビデオ出るビデオ、大変な話題になりましたね。それまでは、ああいう顔をしてセックスをする人の存在というのは知られていなかったわけですよ。沖田や咲田が淫乱といっても、あくまで、それはコケティッシュという意味での淫乱。獣のような本番をする人は豊丸さんが初めてだったわけですね。(『80年代AV大全』双葉社、1999年)

豊丸自身は目も口も大きな派手な顔立ちで、体つきも日本人離れした大柄なプロポーションと、可憐な美少女系が人気の当時の日本のAV業界では主流になりえないタイプの女優だったが、その大胆で過激すぎるセックススタイルで大きな注目を集めた。

咲田葵、沖田ゆかり、そして男好きする色っぽさのある栗原早記と共に淫乱四天王と呼ばれ、AV業界に淫乱ブームを巻き起こすのである。その他、沙也加や千代君、有希蘭、小豊丸こと坂口蘭子などが淫乱女優として名を上げた。

豊丸はテレビや雑誌などのマスコミにも多く登場し、第二の黒木香的な扱いも受けていた。彼女の登場は、日本社会の男性にとっても衝撃であり、新鮮だったのだ。

もともと見世物的な興味という部分が大きかったこともあり、淫乱ブーム自体は2年ほどで終息する。

しかし淫乱ブームは、いわゆる美女、美少女タイプでなくても成功できるという、AV女優にとっての新しい可能性を開いた功績があったのではないだろうか。

AV女優のアイドル化が進む一方で、淫乱女優に注目が集まるなど、AVにも多様化の波が押し寄せてきたのだ。

もはや可愛ければそれで売れる、という時代は終わろうとしていた。

<参考資料>

『ビデオアクティブVol.3』(東京三世社、1988)
『アダルトビデオ10年史』(東京三世社)
『80年代AV大全』(双葉社、1999)
カンパニー松尾・井浦秀夫『職業AV監督』1巻(秋田書店、1997)
東良美季『アダルトビデオジェネレーション』(メディアワークス、1999)
本橋信宏『アダルトビデオ』(飛鳥新社、1998)