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じゃっ夏なんで

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2021.12.03

12 新しい波と混沌[1]
ハメ撮りの発明とゴールドマンの登場

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

ハメ撮りという新しい手法

セックスしながら撮影する、すなわち男優がカメラマンを兼ねるという手法を「ハメ撮り」と呼ぶ。

現在では、すっかり定着したこの名称だが、藤木TDCの著書『アダルトビデオ革命史』(幻冬舎新書、2009年)によれば、大阪の風俗記者が打ち合わせの中で口にした「ハメ撮り」という言葉を、AVライターのハニー白熊が気に入って雑誌で使い始めたのだという。活字化されたのは『ビデオ・ザ・ワールド』1989年7月号が最初らしい。

しかしセックスしながら自分で撮影するという行為自体は家庭用ビデオカメラが発売されてからすぐに好事家たちが始めている。裏ビデオでも黎明期からマニア撮りと呼ばれるプライベートセックスを撮影したものが流通していたし、裏ビデオ以前に話題となっていたラブホテル消し忘れビデオも固定カメラとはいえ、定義的にはハメ撮りに分類されるものだろう。

また『オレンジ通信』の1983年頃には読者カップルが撮影したプライベートビデオを紹介する「ビデオING」というコーナーもあった。

男女が二人きりの密室で自分たちのセックスを撮影する行為は決して先鋭的なことではなかったのだ。

しかし、それはあくまでも「素人」の間の話に過ぎなかった。商品としてのクオリティを持った作品を撮影しなければならない「プロ」にとっては考えられないことだったのだ。

撮影用のスタジオで、照明を設置し、大型の業務用ビデオカメラで撮らなければAVといえども「商品」となる映像は作れない。そのためには、出演者以外に、カメラ、照明、音声、そして監督やADなど大勢のスタッフが必要なのだ。セックスをする男性が、自ら全ての撮影機材を操作することなどは無理に決まっている。それがこの当時のAV制作者の考え方であった。

1985年に小型で使いやすい8ミリビデオカメラが登場し、「素人」ユーザーの間では自分たちの行為を撮影することが広がっていったが、プロがそれで「商品」を撮ることはあり得なかった。

1987年頃になって実験性の高い撮影手法に積極的だった伊勢麟太郎監督やジャッキー監督が、作品のワンパートに8ミリビデオカメラでの撮影を導入しはじめる。男優と女優を二人きりにしてプライベート感の高い映像を撮ろうという試みだった。

そしてそのコーナー12人分をまとめたのが1988年に発売された『勝手にしやがれ 本番女優の素顔レポート』(KUKI)である。全編を「ハメ撮り」手法で撮られたAVとしてはこれが第一号ということになるが、実際は総集編として作られている。

伊勢麟太郎という先鋭的な監督であっても、この時点では8ミリビデオカメラによるハメ撮りで全編を撮り下ろすことにまでは考えが及ばなかったのだ。そして『勝手にしやがれ』は二人きりで撮影されたとはいえ、あくまでもプロの男優とプロの女優によるセックスであった。

『なま』の衝撃

現在のハメ撮りという手法の直接的な元祖としては1989年にゴールドマン監督が撮影した『NEW変態ワールド なま』(アートビデオ)がふさわしいのではないだろうか。


『なま』(1989)

『なま』はパッケージデザインからして異質な作品だった。赤く縁取られた真っ白な地の上にひらがなで大きく「なま」と2文字が書かれている。そしてサブタイトルの「NEW変態ワールド」と出演女優の「奥沢玲子」の名前が書かれており、あとはいくつかの英文がいくつか配置されているのみ。写真は一切ない。そして「ほんなま醸造 nama 金印テープ 生ものですので、お早めにおめし上がり下さい。」という銀色の丸いシールがはられている。

インパクトのあるデザインだが、こんなパッケージのAVはいまだかつてありえなかった。

そしてそれ以上に前代未聞だったのは内容だった。

一人の女とラブホテルの部屋に入るところから始まるが、画面は男の目線となっている。いわゆる主観映像だ。

主観映像によるAVは、鬼頭光監督の『あなたとしたい』シリーズ(アテナ映像)など、既に撮られていたが、『なま』の映像は不安定に揺れる暗い画面であり、何が映っているのかもわからない時もあったが、それがより生々しさを感じさせた。

女をビニールテープで縛り上げて、荒々しく身勝手なセックスをすると、最後には浣腸をして排泄させる。そこまでの一部始終をノンストップ60分で収録しているのである。性器にモザイク修正は入っているものの、それ以外は無編集。正に「なま」の映像なのだ。

パッケージに監督の表記はないが、本編の終わりに「DIRECTED BY GOLDMAN」とクレジットが入っている。

『なま』を撮影したゴールドマンは、1987年に『スーパーエキセントリックROADショウ 電撃!!バイブマン』(アルファビデオ)で監督デビューを果たしているが、この時は「B」という監督名でクレジットされている。


『スーパーエキセントリックROADショウ 電撃!!バイブマン』(1987)

その後、フリービジョンのゴールデンキャンディレーベルなどでも監督を務める。ちなみにゴールドマンの名前の由来は、このゴールデンキャンディから来ている。

この時期は林由美香や島田由香などの単体作品を撮っているが、若手新人にありがちなコミカルでシュールな作風といったもので、まだその本領は発揮されていない。デビュー作『電撃!!バイブマン』は、『ビデオ・ザ・ワールド』誌のレビューでは、100点満点で5点という評価を受けている。

ゴールドマンが「WEBスナイパー」に発表した自伝的小説「セックス・ムーヴィー・ブルース」に「ハメ撮りの生まれた日」という章がある。

最初に俺がハメ撮りというものを体験したのは、たしか89年の秋で26歳の時だった。もう、すでに10月だというのに真夏のような暑い日だった。

それまでにも俺は、数本のAVを監督していた。
 低予算のB級映画のようなドラマものだ。
 撮影用のスタジオを借りて、スタッフもたくさんいた。プロ用の機材を使って、画質もクオリティの高いものだった。メイク、照明、音声、カメラマン、AD、女優、男優、マネージャー等、皆がそれぞれの持ち場で熱心に仕事をしてくれた。
 それが、一般にいうAV撮影の現場だ。
 しかし、撮っているうちに、俺の心の中に、ある疑念がわいてきた。

この、いわゆるお仕事的なセックスは、なんだ? 全然エロくない! せっかく女の性器に男のペニスを入れたり出したりしているのに、まったくもってイヤらしくない!

これは、どういうことなんだ!

本物のエロスを表現したいと考えたゴールドマンは、家庭用のビデオカメラで二人きりの密室でAVを撮影することを考える。自分たちで撮影した写真を雑誌に投稿するマニアたちの姿が念頭にあった。彼らの純粋に性的興奮を楽しんでいる様にこそ、エロスの源を感じたのだと言う。

しかしそのアイディアはメーカーに認められなかった。家庭用ビデオカメラの画質では商品にならないというのが彼らの考えだった。

ゴールドマンも『なま』以前の作品でワンパートを8ミリビデオカメラで撮影するといった試みはおこなっていたが、一本まるまるを撮るということは当時の常識としては許されなかったのだ。

そのため、ゴールドマンは自主制作として撮影を決行する。構想している映像に必要なものはラブホテル代とビデオテープ代、そして女優のギャラだけだ。

以前の撮影で知り合った中島小夜子というフリーのモデルが格安のギャラで出演してくれることになった(クレジットは奥沢玲子)。

CCDカメラを眼鏡に取り付け、背負ったリュックの中に8ミリビデオウォークマンを入れたスタイルで撮影はおこなわれた。

60分ノンストップ撮影である『なま』だが、実際には何度もやり直しているのだという。

こうして完成した『なま』は、通常のAVの制作費よりも破格の低額で作られたということもあり、アートビデオがそれを買い取る形で発売された。

ここで重要なのは、ゴールドマンが自主制作しなければならないほど、AVメーカーの家庭用ビデオカメラ撮影に対するハードルが高かったということだ。

『ビデオ・ザ・ワールド』1989年12月号には、新人監督としてゴールドマンのインタビューが掲載されている。聞き手はゴールドマンに初期から注目していた藤木TDC。まだ迷走していた初期の時点だったため、藤木の評価もまだ曖昧な感じだ。

しかしその中でゴールドマンは発売前の『なま』について自信たっぷりに発言している。

「まぁ、一応、80年代最後のエポックになる作品じゃないかなと。他でビデオ撮ってる人も、みんなここに行きたいかって気がしますね。みんな、マネすんじゃねえぞ!と」

新しい波の到来

実はゴールドマンには『なま』以前にも全編を家庭用カメラで撮影した作品があった。映研というメーカーから発売された『TOKYO BIZARRE』シリーズがそれだ。『BLACK』『RED』『FRUITY』の三部作になっており、同時にA3サイズの大判写真集も作られている。


写真集『TOKYO BIZARRE』(1989)

村上龍の小説『トパーズ』のヒットを機とするボンデージブームがあり、それに合わせて「ボンデージビデオを撮ってくれ」というオーダーがゴールドマンにあったのだ。

『TOKYO BIZARRE』は、AVというよりは、明らかにアートの文脈で語られるのが正しいような作品だ。

『RED』では白衣の看護婦を赤いビニールテープで縛り上げる様を天井から吊り下げられて左右に揺れるビデオカメラが写し取る。『BLACK』では公園のシーソーにセーラー服姿の少女が黒いビニールテープで縛り付けられる姿を前後に揺れるブランコから撮影。そして『FRUITY』はヘアピースやレオタードでカラフルに着飾った女性がエレベーターの中で拘束される。


『TOKYO BIZARRE RED』(1989)

『TOKYO BIZARRE BLACK』(1989)

『TOKYO BIZARRE FRUITY』(1989)

いずれの作品もセックスどころかヌードもなく、またセリフもストーリーもない。無言のままに水中メガネをかけた男(ゴールドマン本人)が女性をビニールテープでぐるぐる巻きにしていくだけだ。

ビニールテープは初期ゴールドマンのトレードマークだった。荷物のように梱包された女体はオブジェのように変形していく。

『TOKYO BIZARRE』は、AVとはあまりにもかけ離れた内容の作品だが、映像としてのインパクトは今なお色褪せない傑作である。

この作品では共同監督としてデザイナーの野田大和が参加している。強烈な『なま』のあのパッケージも彼の作品だ。

当時、野田はミリオン出版のSM雑誌『SMスピリッツ』などで先鋭的なアートディレクションを手がけていた。そのデザインセンスに惚れ込んだゴールドマンが編集部に直接電話して連絡先を聞き、コンタクトしたのだという。


野田大和デザインによる『SMスピリッツ』(1989年7月号)

野田は初期ゴールドマンの重要なパートナーとなる。また主演は三作品とも中島小夜子。『なま』の3人のコラボレーションはここから始まっているのだ。

『TOKYO BIZARRE』は8ミリビデオカメラではなく、同時期に家庭用ビデオカメラのフォーマットとして8ミリビデオの対抗馬であったSVHS-Cで撮影されている。当時は8ミリビデオよりS-VHS-Cの方が画質がよかったためだ。ただしS-VHS-Cは標準画質で20分しか撮影できなかったため、60分ノーカットがコンセプトだった『なま』では採用されなかった。

セールス的にはともかく『なま』は一部に大きな衝撃を与え、よりアバンギャルドな『なま2』『なま3』と続編も作られる。

そしてゴールドマンは当時の人気女優・早見瞳を主演に迎えながらも『時計じかけのオレンジ』をモチーフにビザール感覚、フェチ感覚を炸裂させた『着せ替え生肉人形』、変調されたクラッシック音楽をBGMにダブを思わせる歪んだ映像が強烈な『100P』、全編凄まじい画面エフェクトを施された『夢見るビラビラちゃん』、そして既出作品を信じがたい手法でリミックスした『華麗なるゴールドマンの誘惑』(以上全てアートビデオ)といった作品を次々と発売していく。


『華麗なるゴールドマンの誘惑』(1990)

次はどんなアイディアの作品を見せてくれるのか、一作品も見逃すことは出来ない。ごく一部のマニアには熱狂的に支持されたゴールドマン監督だったが、もちろん一般のAVユーザーにとっては、間違って借りてしまったら災難としか言いようのない内容だ。

さすがに社長に「会社を潰すきか!」と怒鳴られる羽目となり、ゴールドマンはそれまでホームグラウンドとしていたメーカー、アートビデオを追われてしまう。

ゴールドマンの手法と姿勢は、それまでのAV監督の文脈から大きく逸脱したものだった。そしてこの時期、ゴールドマンと同じように既存のAVとは違ったアプローチを試みる20代の監督が次々と登場した。

それは、その10年ほど前にロックのシーンに起こったパンク/ニューウェーヴのムーブメントを思わせるものだった。

80年代末から90年代にかけて、AV業界にも新しい波が押し寄せていたのである。

<参考資料>


藤木TDC『アダルトビデオ革命史』(幻冬舎新書、2009)
『ビデオ・ザ・ワールド』1989年12月号(白夜書房)
ゴールドマン「セックス・ムーヴィー・ブルース 【3】ハメ撮りの生まれた日」「WEBスナイパー」(2010年8月8日更新)