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じゃっ夏なんで

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2021.12.27

15 新しい波と混沌[4]
ひとつの時代の終わり

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

ダイヤモンド帝国の崩壊とAV黄金期の終わり

AV業界を制覇するかに思われた村西とおる率いるダイヤモンド映像の勢いに陰りが見えたのは1990年の終わり頃だった。

ダイヤモンド映像が資金繰りに苦しんでいるという噂が業界に流れた。巨額をつぎ込んでいた衛星放送が暗礁に乗り上げ、また社内で商品の大量横流しや、社員の使い込みが多発していたことも発覚した。

制作費や社員の給料の遅配も目立つようになっていた。それは作品の質の低下にもつながり、売上げも落ちていく。

日本経済のバブル経済が弾けたのと同時にダイヤモンド映像の黄金期も終わりを告げたのだ。

そして1991年12月に東京地方裁判所に和議申請。1992年には会社を統廃合し、ダイヤモンド・エンターテインメントという新会社を設立して再起を図ろうとするも、専属女優や制作スタッフが離脱していき、結局12月には倒産に至った。村西とおるが背負った借金は、なんと50億円にも達したという。

失速したのは風雲児・村西とおるだけではなかった。

『オレンジ通信』1993年2月号でライターの水津宏は1992年のAV業界を総括した原稿の冒頭でこう書いている。

 アダルトビデオ業界にとっての92年は、バブル経済崩壊のあおりを受け、不況に喘いだ1年と言えよう。一時は1万7〜8千軒もあったレンタル・ビデオショップも1万軒を割り、売れ行きは鈍化の一途。春先からA社が危ないらしい、いやB社も等々、様々なウワサが飛び交う中、8月の大陸書房の倒産を頂点に、いくつかのメーカーが倒産、制作中止の状態に追い込まれた。アダルトビデオ評論家だった奥出哲雄氏が設立したアロックスも、大いに期待されたがヒット作らしいヒット作も生み出せぬまま事実上の倒産状態に。また「ナイスですねぇ〜」という流行語と共にアダルトビデオ界の帝王と呼ばれた村西とおる率いるダイヤモンド映像も、専属女優、専属監督が次々と辞め、新作のリリースがストップ状態となっている。(『オレンジ通信』1993年2月号「’92年AV総括」)

『オレンジ通信』1992年5月号で、ライターであり、アロックスの専属監督でもあった斉藤修が連載「オサムランド」で、同じくアロックスの専属監督であった相川和義とAV業界の不況について対談している。この時期に二人ともアロックスの専属を離脱していた。

制作費の削減について相川が説明する。

相川 制作の箱受けだったら(注・箱受けとは、現場制作費、監督のギャラ、女優をのぞいたキャスト費、編集代のもろもろの制作費を含んだ制作請負いの形の事をいう)250万を切る位のね。昔みたいに300万とかは、今じゃ出ないですからね。
斉藤 とめどなく下の数字ってのが出てきてるからね。
相川 150万とか。
斉藤 もっと下もいくらでもあるから。
相川 そんなんで、よく作れるなと思うんですけど、不思議なんだよね。

ちなみに2021年現在では、大手メーカーでも制作費は100万円程度が普通だと言われている。

二人はAV不況の原因をタイトル数の増加ではないかと推測する。

斉藤 まあ、今のこの状況ってのは、リリースの本数が多すぎてさ、こういう状況になってるんだから、これで多少は減るのかと思ったら、また増えてしまうと。だから、どの大手メーカーとかみても、2〜3年前からくらべると、リリース本数が2倍位になってたりするからね。
相川 そりゃ大変でしょ。
斉藤 そう、それでみんな
だから結局、本数が増えるとね、駄目なんですよ。この業界は、100本とか150本てのが月のリリースの限界なんでしょ。だってショップのコーナーって小さいですもん。
斉藤 でも今は、月間400本強だからね。
相川 多すぎますよ。

水津は「’92年AV総括」の最後をこうしめている。

〔前略〕売れなくなったのは、ただ単に不況になったばかりではないのだ。今までのやり方が通用しなくなった今こそ、一体何のためにアダルトビデオを作るのか、何故それがアダルトビデオなのか、真剣に考える必要があるだろう。アダルトビデオの持つ可能性に目をつむり、自己を閉鎖的立場に置いたとしたら、ますますジリ貧になる一途である。各メーカー、監督の奮起を期待したい。

そして実際に90年代半ばから、AV業界には新しい波が押し寄せ、勢力図も大きく変わり始めることとなる。「今までのやり方」は通用しなくなっていったのだ。

飯島愛のブレイクとTVとの蜜月

90年代のAV女優の中で最も知名度があるのは誰かと聞かれた時に、最初に名前があがるのは飯島愛ではないだろうか。

AV女優引退後のタレント活動の方が華やかだったため、AV出身の成功例として語られることが多い。

彼女の名を一躍高めたのがテレビ東京で1991年から1998年まで放映された深夜番組「ギルガメッシュないと」への出演だが、彼女のAVデビュー作は1992年4月発売の『激射の女神 愛のベイサイド』(FOXY)であり、その年の2月には「ギルガメッシュないと」に既に登場していた。


『激射の女神 愛のベイサイド』(1992)

撮影自体は「ギルガメッシュないと」出演以前におこなわれていたが、発売はその後になったため、むしろ「『ギルガメ』のあの子がAVデビュー!」という芸能人AV的な売られ方をしていた。

前述の『オレンジ通信』の「’92年AV総括」でも飯島愛のブレイクを明るい話題として取り上げているが、その扱いを難しいものとしている。

〔前略〕あっという間にスターダムに駆け上った。が、厳密に言うと、彼女の場合はアダルトビデオが生んだスターとは言い難いものがある。彼女の人気はテレビを始めとするマスコミによるところが大きく『その彼女がアダルトビデオにも出ている』といった色合いが強い。彼女にとってアダルトビデオに出たということは、ひとつの付加価値をつけるためであり、事務所が彼女を売るための戦略であった。それが桜樹ルイら、アダルトビデオ出演をメインの価値にした今までのスターとの決定的違いであり、ある意味では全く新しいタイプのスターと言えよう。したがって、現在飯島愛の裸はもちろん、アダルトビデオ誌ではインタビューも禁止という事務所からの通達も、事務所サイドからすれば『当然』ということになる。

ベストセラーとなった飯島愛の自伝的な本『プラトニック・セックス』(小学館、2000年)によれば、AV出演の方が先であり、テレビ出演はあくまでもその宣伝だったそうだが、テレビとAVの相乗効果は大きかった。


飯島愛『プラトニック・セックス』(2000)

『オレンジ通信』1993年2月号掲載の1992年度メーカー別売上ベスト10を見ると、飯島愛出演作をリリースしたメーカーの1位は軒並み彼女の作品だ。上位3位を飯島愛が独占しているKUKIはコメントで「不景気と囁かれながらも、飯島効果というところでしょうか。Tバック系女優は売れる売れる」と語っているほどだ。

村西とおると別れて以降、低迷を続けていたクリスタル映像も飯島愛の出演作を数多くリリースしたことで大成功を収めた。

1986年の小林ひとみデビュー時を超えるような飯島愛フィーバーがあったことがよくわかる。

飯島愛に続けとばかり、「ギルガメッシュないと」にはその後もAV女優が次々と出演していった。

水谷ケイ、野坂なつみ、憂木瞳、矢沢ようこ、氷高小夜、麻宮淳子など、多くのAV女優が「ギルガメッシュないと」をはじめとするテレビ番組にレギュラー出演し、人気を集めていた。彼女たちは、あくまでも「明るくエッチな女の子」というキャラクターを忠実に演じていた。そこが80年代のAV女優を「普通のアイドルと変わらない清楚な可愛い女の子」として売り出そうとしたプロダクションの考えとは違うところであり、ニーズにもぴったりとあった。テレビで活躍する女優の出演作は、どれもヒットした。

しかし、これは「ギルガメ」に出ている女優しか売れない、という状況を生み出していた。AV業界自体でスターを作り出すことが出来ずに、テレビ局側にその主導権を握られてしまったわけである。

ここにもAV業界のパワーダウンが感じられた。

アダルトCD−ROMの出現

CD-ROMはCDにデータを記録した読み込み専用のメディアだ。発明されたのは80年代だが、90年代初頭にCD-ROMドライブを内蔵したパソコンが増えたことから、一気にブームとなった。

まだインターネットが一般的ではなかったこの時期に画像や動画をインタラクティブに扱える新しいメディアとして脚光を浴びたCD-ROMだが、その存在を世間に知らしめたのが1993年に発売された『YELLOWS』(デジタローグ)だった。


『YELLOWS』(1993)

『YELLOWS』は、もともと写真家・五味彬が1991年に発売する予定の同名の写真集だった。日本女性の体型を記録するというコンセプトで直立不動の全裸の女性の正面と背面を資料的に収めていくという連作で、正面からの写真には当然陰毛が映っている。1991年は篠山紀信が樋口可南子『Water Fruit』と『Santa Fe』(共に朝日出版社)を発売した年で、ヘアヌード解禁元年と言われているが、それでも出版社はまだ及び腰で、突然発売中止となってしまった。

それが紆余曲折を経てCD-ROMという形態で発売されたのだ。もちろん陰毛は無修正。作者の意図に反して、「ヘアが見られるCD-ROM」ということで、『YELLOWS』は話題となり大ヒットした。

ここでCD-ROM=裸というイメージが定着したのか、各社が一斉にアダルトCD-ROMを制作し始めた。

日本のアダルトCD-ROMの第一号と言われているのが1993年にステップスから発売された『Hyper AV』だ。AVのハイライトシーンの動画と画像を収録したデータベース的な作品で、物珍しさもあって大ヒットした。

そしてアダルトCD-ROMブームに火をつけたのが同じ年にKUKIから発売された『ZAPPINK』だった。


『ZAPPINK』(1993)

これはひとつのストーリーを三姉妹(高倉みなみ・観月マリ・高野ひとみ)それぞれの視点からザッピングできるという内容で、CD-ROMならではの特性を活かしたシステムが話題を呼んだ。ちなみに『ZAPPINK』で使われた動画は『極姦』のタイトルで三人それぞれの視点からの三部作としてVHSでも発売されている。

その後もKUKIは、衣装から愛撫の順番、体位などを選ぶことで反応も変わっていくというインタラクティブな『お好み亜紀ちゃん』、80年代にノーパン喫茶の女王として大人気だったイヴ主演のアドベンチャーゲーム的システムの『ヴァーチャル未亡人』、山下清を彷彿とさせる坊主の男(実は撲殺チェーンソーロボトミーという全裸で演奏するパンクバンドのボーカル)を主演にナンセンスでアナーキーな展開を見せる『大ちゃん』など、先鋭的な作品と次々と発売し、アダルトCD-ROM業界を牽引していく存在となる。

KUKIに続けとばかりに、VIP、クリスタル映像、シネマジックといった他のAVメーカーも相次いでCD-ROM市場に参入。AVの素材を豊富に持っているAVメーカーは制作において有利だったのだ。

しかし、ほとんどのAVメーカーのCD-ROM作品は、簡易なゲームをクリアすると動画が見られる、あるいは単なるAVのダイジェストといった手抜きな内容のものばかりだったが、それでも一万円以上の高価にもかかわらず、売れてしまうアダルトCD-ROMバブルとも言うべき時期だった。

そんな中でもマイナーメーカーの作品には興味深いものもあった。サイバーパンク感覚に溢れたビジュアルの『ソフト・マシーン』『アスホール』などの作品をリリースしていた河豚カンパニーや、一人の女の子のあらゆるデーターを収録した「ダッチROM」シリーズや、世界初の剃毛ソフト「そりまん」、シューティングゲームの結果によってコラージュの恋愛小説が完成する「スペースダッチROM マンシュー」などシュールでナンセンスな魅力に満ちた作品ばかりを作り続けていたプラネットピーチなどは新しいメディアならでは可能性と遊び心を強く感じさせた。


『ソフト・マシーン』(1993)

『ダッチROM 恋の奴隷』(1993)

AVがマンネリ化して行き詰まりを感じていたこの時期、アダルトCD-ROMは新しいエロメディア表現を生み出すのではないかとも思われたのだが、残念ながらそうはならなかった。

売れたのはAVの動画や映像を安易に詰め込んだだけの作品の方だったのだ。

結局、ユーザーはパソコンでこっそりAVを見たいという目的だけでアダルトCD-ROMを買っていたのだ。

とある調査によるとアダルトCD-ROMのユーザーは、普通のAVよりも年齢層が高いという結果も出ていた。つまり自宅のリビングのテレビでAVは観られないから、自分の部屋や会社のパソコンで見る、というのがアダルトCD-ROMのニーズだったのだ。誰も新しいメディアならではの斬新なインタラクティブ性などは求めていなかった。

そうなると、その用途はDVD、そしてインターネットの方がずっと優れているということになり、90年代の後半にはアダルトCD-ROMは急速に姿を消していくこととなる。

〈参考資料〉

本橋信宏『全裸監督』(太田出版、2016)。
『オレンジ通信』1992年5月号、1993年2月号(東京三世社)。
『アダルトビデオ20年史』(東京三世社、1998)。
飯島愛『プラトニック・セックス』(小学館、2000)。
佐野亨編『昭和・平成 お色気番組グラフィティ』(河出書房新社、2014)。
『芸術新潮』1992年8月号(新潮社)
『セクシードール Vol.6』(宝島社、1994)。