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春がいっぱい

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2022.01.20

17 インディーズの襲来[2]
ビデオ安売王からSODへ

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

「ビデオ安売王」旋風

明治30年に創刊され、105年にわたって刊行された老舗経済誌『実業の日本』(実業之日本社)の1995年4月号の連載「現代創業者列伝」に、世界一の出店スピードを誇るビデオショップチェーンの会長として佐藤太治という人物が登場している。

 「九三年度の売上高は一四億円、九四年度は一一〇億円、九五年度は三五〇億円に達する見込み。おそらく再来年までには、一〇〇〇億円の大台に乗るはずだ」
 セルビデオの格安販売という前人未踏の商売にチャレンジして二年。「ビデオ安売王」をフランチャイズチェーン展開する日本ビデオ販売株式会社は、いま、すさまじい勢いで伸びている。

1993年にセルビデオショップ「ビデオ安売王」第1号店を東京駅近くの八重洲にオープンした佐藤太治率いる日本ビデオ販売はその年の9月からフランチャイズ展開を開始。加盟店募集の広告をあらゆる雑誌、新聞に掲載し「月給200万円くらいもらってますか?」という刺激的なコピーで話題を呼んだ。

広告を見た脱サラ組が殺到し、加入店は1年間で300店舗を超え、そして1995年には「ビデオ安売王」の看板を掲げたショップは1000店に達した。


ビデオ安売王のパンフレット(1995)

佐藤太治本人も、多くの雑誌に登場し一躍「話題の人」となった。佐藤太治は、20代の頃からガソリンスタンドでの安売りで成功し、石油の自主輸入を試みるが通商産業省との衝突により断念。この時も話題となっていた人物だった。

佐藤は当時、アメリカでは既にセルビデオ(販売用のビデオソフト)が成功していたことに目をつけた。

アメリカでは十五、六ドルで新作映画のソフトが手に入り、それを販売するセルビデオ店が隆盛してきているが、日本でもアメリカ並みの安い価格で販売できればきっと売れる(「月刊レジャー産業資料」1995年1月号、綜合ユニコム)

佐藤がセルビデオを選んだのはその利益率の高さだった。

商売で肝心なのは粗利でしょ。ガソリンスタンドは12パーセント、この商売は儲け半分50パーセント、わかりやすいだろ。日本で一番投下資本少なくて儲かる商売考えたんだよ(『宝島』1995年4月19日号)

『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)や『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)などで過激なテレビ演出家として知られるテリー伊藤をプロデューサーに迎えてオリジナルビデオも制作した。

プロレスラーが暴れて一軒家を破壊する『一軒家プロレス』、美容整形のドキュメンタリー『整形美人ができるまで』、パリ人肉事件の佐川一政主演の『佐川君の一週間』、ルビー・モレノがナビゲーターをつとめる『日本人と恋したいフィリピーナ大集合! 全員完全住所付き』など、地上波では出来ない際どいネタを扱った作品を次々とリリース。現実の事件をモデルにしたオリジナル映画『女子高生コンクリート詰め殺人事件 壊れたセブンティーンたち』は、ゆずのメンバーとして活躍する北川悠仁が出演していたことで、後に話題となった。


ビデオ安売王オリジナル作品のラインナップ

しかし「ビデオ安売王」の主力商品は、やはりアダルトだった。ダイヤモンド映像倒産後の村西とおるが久々に監督し、にっかつロマンポルノで活躍していた小田かおるを主演に起用した『実録若奥様 小田かおる』や、プロレスラーの藤原喜明が監督した『おれが藤原だ!!』など話題作も作られたが、その多くは安易で粗雑な作品だった。

佐藤ら日本ビデオ販売の制作部がAV業界に詳しくないことにつけ込んで、多額の制作費を要求しておきながら、制作には使わずにそのほとんどを搾取するといったことが横行していたらしい。

さらに、店頭にはAVの海賊版も多数店頭に並べられており問題視されていた。

革命は失敗したのか?

「ビデオ安売王」の崩壊はあっけなかった。まず1995年の初頭に、AVメーカー28社から海賊版の販売に対して著作権法違反で訴えられる。

この時期、日本ビデオ販売の取材を積極的にしていたライターの岩尾悟志は業界のバッシングが「ビデオ安売王」の海賊版販売へとつながったのではないかと推測する。

 本来は日本ビデオ販売はビデ倫メーカー各社から商品を提供してもらって、続けていこうと考えていたのだが、メーカーが談合する形で、日本ビデオ販売に商品を売ることを拒否、結局、オリジナル商品を独自で作らざるをえなくなる。
 しかしながら、今度は、メーカーから製作会社に、安売王の仕事をしたら仕事を発注しないといった圧力がかかり、優れた作品を作る製作会社は日本ビデオ販売の制作に参加せず、作品の質は一部の豊田薫作品などを除き、ひどいものだった。
 日本ビデオ販売は加盟店に他社仕入れを禁止をしてはいたが、どの店も売り上げを上げるために、他社仕入れを始め、それを堂々と行うために、独立を始めたりし始めた。
 本来なら、うまくいったかもしれない佐藤太治の日本ビデオ販売のフランチャイズだが、結局はメーカー各社の圧力によってそれぞれのお店に売れる商品を供給することができず、佐藤自体は猛烈な熱意で檄を飛ばすが、徐々にほころびを見せ始めていた。(「『ビデオ安売王』始末記」岩尾悟志『アダルトビデオ20年史』所収)
 

岩尾自身、「ビデオ安売王」の取材をしていることに対して「どうしてあんなヤツの宣伝をするんだ!」とAVメーカーから恫喝めいた電話がかかってきたりもしたらしい。しかし、岩尾は佐藤に、かつて同じように業界からバッシングを受けながらも立ち向かっていた村西とおると同じような魅力を感じていたようだ。

この時期にショップを営業していた側の証言が『ビデオメイトDX』での小野一光の連載「インディーズビデオ20年戦争」に掲載されている。盗撮ビデオメーカー「SLUM」のオーナーが、当時「ビデオ安売王」に加入していたのだ。

「やってましたよ、たしかに。安売王の高円寺北店でしたねえ。今から5年前だから95年のことかな。でも、2月に加入して7月にはもう店名を今のSLUMに変えてました。こんなんじゃ絶対にダメだと思ったから」
 ダメって、どうして思ったんですか?
「だって、本部からまわってくるソフトが話になりませんでしたからね。ほんと、一番最初の品揃えを見た段階から、ああ、ダメだなって感じですよ。その他、こだわりの感じられない作品ばかり。でもって海賊版がかなり混じってるんですよ。それにも困りました」(『ビデオメイトDX』2000年5月号)

さらに富山県の店舗が、成人向け商品が7割以上を占めていたため、風営法に抵触し佐藤自身が逮捕されるという事件が起きる。これをきっかけに、日本ビデオ販売は崩壊してしまう。

本部である日本ビデオ販売が倒産しても、全国に1000店のフランチャイズ店舗は残っている。本部からの供給が止まった店舗は、売るべき商品を求めていた。そこでそのニーズに応えるべく、多くのセルビデオメーカーが生まれたのだ。

問題も多かった日本ビデオ販売、ビデオ安売王であったが、その存在がなかったら、以降の日本のAVの歴史は全く違ったものになっていたであろう。

前出の「インディーズビデオ20年戦争」に登場したSLUMのオーナーもビデオ安売王に対してこう述べている。

いやあ、インディーズも含めたセルビデオにとって、販路の拡張という点で、すごく大きな役割を果たした存在ですよ。あそこがなければ今のようにショップは数多くなかったでしょうからね。ほんと、もしかしたらセルビデオはほとんど育たずに、レンタルばかりになってたかもしれない(『ビデオメイトDX』2000年5月号)

さらにこの連載の2ヶ月後の回には、次の時代の主役となるソフト・オン・デマンド代表(当時)の高橋がなりも安売王の功績を語っている。

僕はね、アダルトをやる人間で佐藤会長の悪口を言う人がいるけど、それっておかしいと思うんです。〔中略〕たしかにあの人には功罪があるけど、功のほうが大きいでしょ。ショップや人材は『安売王』のおかげで飛躍的に増えたわけですからね。もしあの会社がなかったら、今の業界はなかったと思いますよ。うちの会社(SOD)にしろ、アタッカーズにしろ、ワープにしろリア王にしろ、みんなそうですよ」(『ビデオメイトDX』2000年7月号)

ソフト・オン・デマンドと陰毛解禁

ビデオ安売王が誕生するまで、通販や一部のマニア向けショップでのみ、ひっそりと流通していたインディーズビデオが、突然全国に1000店以上という市場を得て、その規模が拡大された。その市場を狙って、メーカーも乱立した。

その中で頭角を表したのがソフト・オン・デマンドだった。

安売王時代にテリー伊藤の元でオリジナルビデオのプロデューサーを務めていた高橋がなりたちが立ち上げたメーカーで、1996年に発売した『50人全裸オーディション』が5万本という驚異的なヒットを飛ばした。


 『50人全裸オーディション』(1996)

50人の女性が全裸でオーディションを受けるという内容で、1人ずつが審査員の前で縄跳びをしたり即興の歌を唄ったりとアピールしていくのみ。セックスシーンは一切ない。AVの枠を完全に逸脱した作品だった。AVの概念にとらわれないテレビ制作出身のスタッフだったからこその発想だろう。

そして『50人全裸オーディション』には、もうひとつ既存のAVの枠を逸脱していたポイントがあった。陰毛である。

日本では長らく陰毛をわいせつの境界線とする考えが一般的であったが、1991年の篠山紀信撮影の樋口可南子ヌード写真集『Water Fruit』(朝日出版社)の発売を機に、実質的な「ヘア解禁」へと動いていた。陰毛無修正のヘアヌード写真集が次々とベストセラーになり、週刊誌にもヘアヌードグラビアが堂々と掲載されていた。

しかし、ビデ倫は頑なに陰毛表現を認めず、モザイク処理することを求めていたのだ。誰でも手にすることが出来る週刊誌のヌードグラビアには陰毛が写っているのに、成人向けであるAVでは陰毛は修正されているというねじれ現象が起きていた。

その一方で、ビデ倫を通していないセルビデオの世界では、早くから陰毛解禁の動きが起きていた。

『Water Fruit』の発売より1年早い1990年にもザイクスプロモーションが『女の秘湯』というシリーズを発売している。タイトルどおりに女性モデルが温泉に入っている姿を撮影したものだが、チラリチラリと股間に黒い陰りが見える。特にアップもなく、はっきりと映し出されるわけではないが、それでも当時のユーザーには大きな衝撃だったようで、通販や一部のショップのみという販売でありながら、高セールスを記録。ザイクスプロモーションは以降もこうした「温泉ヘアビデオ」を制作。次第に陰毛をはっきり見せるようになっていく。


『女の秘湯』(1991)

1994年には鬼才・豊田薫監督が『Mary Jane/河合メリージェーン』をリリース。発売はV&Rプランニングの別会社であるケイネットワークだった。これは意識的に陰毛をはっきりと見せつけるイメージヘアビデオで、ほとんど告知をしていなかったにもかかわらず4万本の大ヒットとなる。


『Mary Jane/河合メリージェーン』(1994)

1995年になると、他のメーカーからも多くの「ヘアビデオ」が発売されるようになっていた。ビデオ安売王でも、のちに映画『いかレスラー』『日本以外全部沈没』などで話題となる河崎実監督が『飛び出せ!全裸学園』を撮り、大ヒットした。これは人気風俗嬢アイドルの可愛手翔が、なぜか全裸でピッチャーをするというナンセンスな学園ドラマ。セックスシーンはないが、彼女の陰毛がはっきりと映っている。続編として『全裸女社長漫遊記』『全裸女料理人VSはだかの女ドラゴン』なども作られている。


『飛び出せ!全裸学園』(1995)

このシリーズがヒットしたため、「全裸はいける」と続いて作られたのが『SUPER HAIR NUDE SPORTS SERIES Vol.1 バレーボール』である。女性たちが全裸でバレーボールをしているというだけの作品で、教育番組を制作する会社のスタッフが撮ったと言われるが、特に陰毛や裸を強調することもない淡々としたカメラワークが逆にシュールなエロティシズムを感じさせる。この『バレーボール』もヒットし「SUPER HAIR NUDE SPORTS SERIES」はその後『肉弾!ドッチボール編 』『開脚!器械体操編』なども作られた。

またビデオ安売王では、豊田薫監督がセックスシーンのある初のヘアAV『完全露出 恥骨フェチ』もリリース。こちらも4万本の大ヒットとなっている。

ソフト・オン・デマンドは『50人全裸オーディション』のヒットに続いて、『全裸水泳』『全裸エアロビクス』『全裸マシントレーニング』と、ビデオ安売王時代の「SUPER HAIR NUDE SPORTS SERIES」を継承するような全裸スポーツ路線を次々と制作し、いずれもヒットさせている。

この勢いにのって、ソフト・オン・デマンドは総製作費9千万円の超大作「地上20メートル空中ファック」シリーズに挑む。クレーン車で空中20メートルの高さに透明のアクリルボードを吊り下げ、その上で男女がセックスをし、それをヘリコプターから撮影するという空前絶後の作品だった。


『地上20メートル空中ファック』(1996)

社運を賭け、合計10万本を目論んだ「地上20メートル空中ファック」全6作だったが、現実は厳しくわずか200本あまりという売り上げにとどまった。

この失敗は、あまりに企画の面白さだけに振れてしまったためにエロを求めるユーザーにそっぽを向かれたためだと言われることが多いが、単純に全裸シリーズに比べて陰毛の露出が少なかったというところもあったのではないだろうか。全裸シリーズのヒットは、企画の面白さ以前に「たくさんの女性の陰毛が見られる」というところにあったように思えるのだ。今では考えられないかもしれないが、それほど当時のユーザーは狂おしいまでに陰毛を求めていたのである。

「地上20メートル空中ファック」の大失敗はソフト・オン・デマンドを倒産の危機にまで追い詰めた。しかしその一方で撮影には多くのマスコミが押し寄せ、雑誌・新聞に取り上げられたことで、ソフト・オン・デマンドの知名度は一気に上がった。

日陰の存在であった、インディーズビデオ=セルビデオのメーカーが陽の目を見ることになったのである。

〈参考資料〉

『実業の日本』1995年4月号(実業之日本社)
『月刊レジャー産業資料』1995年1月号(綜合ユニコム)
『宝島』1995年4月19日号(宝島社)
本橋信宏『新・AV時代 全裸監督後の世界』(文藝春秋、2021年)
『アダルトビデオ20年史』(東京三世社、1998年)
『ビデオメイトDX』2000年5月号、7月号(コアマガジン)
『週刊新潮』1998年7月9日号(新潮社)