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春がいっぱい

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2022.01.28

18 インディーズの襲来[3]
マニアジャンルと野外露出ブーム

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

インディーズブームの到来

ビデオ安売王旋風が吹き荒れた後の90年代後半にはインディーズバブルと呼ぶべき状況が訪れていた。無数の小規模メーカーが立ち上がり、溢れんばかりのセル用AVがリリースされた。

それまでのレンタル中心のAV業界においてはビデ倫への加入が必須であり、レンタルショップでもある程度の入荷枠が決まっていたために、新規参入が容易ではないという状況が続いていたのだが、それがセル市場には無かった。

また、撮影機材の発達により、制作も低コストで可能になったことも大きかった。そしてブルセラブーム、援交ブームを経由した若い素人女性たちの意識の変化もあった。

もはやAVは一部のプロのみが作るものではなくなっていたのだ。

とはいえ、やはりどんな作品でも売れたというわけではない。一本5000円以上というこの時期のセルビデオを購入するユーザーは、数百円で見ることが出来るレンタルAVでは満足できない作品を求めていた。

『インディーズ・ビデオ・ザ・ワールド’98』(1998年)掲載の「今、セルショップではこういうビデオが売れています!!」という都内ショップ店長3名の座談会記事で、各店のオールタイム売り上げ作品のベスト5が掲載されているが、そのラインナップを見ると、当時売れていたインディーズビデオの傾向がわかるだろう。

トップジャパン神田店
1位 ミセスシリーズ(シャネラー)
2位 和式便所3(ウィンク)
3位 東京モーターショー(防犯)
4位 母乳搾りDXシリーズ(アロマ)
5位 強制顔射シリーズ(U&K)

タイヨー新宿店
1位 愛が生まれた日(AV WORKS)
2位 ヒロイン拷問(ギガ)
3位 鞭責めに本気泣き(AV WORKS)
4位 恥辱倶楽部㈼(AVS)
5位 口臭便所(ハウスギルド)

ビデオシーク(池袋)
1位 Dカップパラダイス㈽(シャトルジャパン)
2位 オマンコ見てぇ〜1 武藤かなえ(ボボプランニング)
3位 女教師疑惑の教壇 瞳リョウ(アタッカーズ)
4位 ミセス受難(インターロック)
5位 Bejean2 上田美穂(モンロー)

かなりマニアックな内容を思わせるタイトルが多い。座談会の中でもこれまでによく売れたジャンルとしてブルセラ、盗撮、ザーメン(精液)、スカトロ、近親相姦といったものが挙げられている。

しかし90年代はフェチなどのマニアックな性的嗜好が注目を集めた時期でもあった。村上龍が自らメガホンを取って映画化した『トパーズ』(1992年)のヒットの影響で、ボンデージやSMの世界が若い年代に受け入れられ、フェティッシュな世界がクローズアップされた。

エロ本でもスカトロやマゾ、脚フェチ、シーメール、熟女などの専門誌が次々と創刊されて人気を集めた。スカトロ雑誌の『お尻倶楽部』(三和出版)が7万部というマニア向けの雑誌とは思えない発行部数を叩き出したりもした。

インディーズビデオは、そうした流れに上手くマッチしたと言える。それはおそらく、真性のマニアだけではなく、軽く興味を持っている程度のユーザーでも手を出してみようかと思わせる時代の空気も影響していたのではないだろうか。

しかし、最大公約数的な作品を出さなければならないレンタルAVでは、そうしたムードに歩調を合わせることは難しかった。

1980年から1998年までのAVの歴史をまとめた『アダルトビデオ20年史』(東京三世社、1998年)を見ても、この時期に関しての記述は「96年のAV界の最大の動きは、停滞するレンタルAVメーカーをしのぐような勢いで、インディーズ系のセルメーカーが伸びてきたことだろう」「レンタルビデオが目立った話題に乏しい中、セル市場が活発化」「インディーズビデオ、人気最高潮に」といったものが多い。

レンタルAVメーカーで目立った動きとしては、1996年に芳友メディアプロデュースからアダルトDVD第一弾となる『桃艶かぐや姫・危機一髪 小室友里』が発売されたことくらいだろうか。そのDVDにしても、AVがレンタルからセルへと移行していくきっかけのひとつとなっていくのだが。

インディーズを支えたメーカーたち

この時期を代表するインディーズメーカーとしては、まずアロマ企画が挙げられる。スカトロ、母乳、痴女、接吻、キャットファイトといったマニアックなフェチ物に特化した作品をリリースし、中には女性が官能小説を朗読するだけ、街頭で見かけたスカートから下着の線が透けている女性の尻を盗撮するだけ、といったごく一部のマニアにしか理解できないような内容の作品も多かったが、当時の広告には「オリジナル生撮り自主制作だから安売しません」というキャッチコピーが誇らしげに書かれていた。


『憎いほど男殺しⅣ』(1996)

アロマ企画は、高円寺のバロックを始めとし、数多くの直営ショップを展開していた。インディーズの源流のひとつであるブルセラビデオが、もともと自分のショップでのみビデオを販売していたということもあり(アロマ企画も、その発祥はブルセラショップが母体だった)、直営ショップを持つメーカーも珍しくなかったのである。中でも西新宿の某雑居ビルには、10店ほどのマニアビデオショップが集まり、「マニアの梁山泊」と呼ばれるほどであった。

特に直営ショップにこだわりを見せていたのが、エムズ(MVG)だった。大人数の男優がぶっかけ、口内発射をするといった過激なザーメン物で話題を呼んだメーカーだが、その作品は道玄坂の雑居ビル内に「マニア以外のお客様はいっさいお断りします」と警告を掲げたザーメン専門店「ミルキーショップ・エムズ」でのみの販売。来客には、これまでにどんなビデオを観てきたか、どんなエロ本を読んできたかを聞き、答えられないと入店拒否されたという。

しかし1996年に制作した『一期一会』シリーズは他のショップでも販売され、総数20万本を超える大ヒットを記録。その後、社長の松本和彦はAV監督としてソフト・オン・デマンドなどのメーカーでも大活躍し、以降のAV業界を牽引する一人となる。

『一期一会』は、オナニー、レイプ、淫語、ザーメン、パンスト、緊縛、うんこ、おしっこ、屋上露出、ヘアーなど一本ごとにテーマを分けたシリーズとなっており、この作品からAV業界に「ジャンル」という発想が定着したという説もある。

同じく大人数の男優が一人の女優に精液を浴びせるという「ぶっかけ」ジャンルの代表的な存在として知られたのがシャトルジャパン(シャトルワン)である。

シャトルジャパンもまたブルセラから発祥したメーカーであり、当初は女子校生物が中心であり、さらに巨乳フェチ、脚フェチなどのフェチ系作品をリリースしているが、その中でも特に支持されていたのが『ぶっかけフェスティバル』シリーズなどのぶっかけ物だった。何十人もの素人男優が、一人の女優に精液をかけていくという内容で、そこにコスプレの要素を足したのも新鮮だった。


『ぶっかけフェスティバル4』(1996)

80年代にその個性的な作風で芳友舎の看板監督として活躍していた豊田薫が、1996年に立ち上げたレーベルが「リア王」(発売元はワイルドサイド)だ。1994年に『Mary Jane/河合メリージェーン』、1995年に『完全露出 恥骨フェチ』というヘアビデオを成功させたことで、ビデ倫の基準に縛られない自主規制ビデオの魅力を感じた豊田が本格的にインディーズに進出したということは大きな事件だった。

そして、その内容は性器や肛門など女性の「穴」に徹底に執着したもので、ビデ倫の審査には決して通らない過激かつディープな映像のオンパレードであった。

レンタルAVの世界で巨匠と呼ばれた監督が、最もインディーズらしいこだわりを見せた作品を次々とリリースしていったのだ。

凌辱専門メーカーとして1997年に設立されたアタッカーズは、インディーズ=マニア向けというイメージを覆した。凌辱専門というとマニア向けの印象があるが、麻生早苗や有賀美穂といったレンタルAVの人気女優を起用し、パッケージもインディーズ的な簡素なものではなく、美麗なデザインと印刷。さらにフォト小説の小冊子まで付録に付いているのだ。内容もフェチに偏ったものでなく「わかりやすい凌辱」になっていた。ただし、それはビデ倫の審査は通らないであろうハードさではあったのだが。設立当初から社員の人数も多く企業然としていたことも他のインディーズメーカーとは一線を画していた。

ここに『地上20m空中ファック』で大失敗したものの、その後に『爆走マジックミラー号がイク!』や『痴漢10人隊』などをヒットさせたソフト・オン・デマンドが加わる。

会社としての規模も内容へのこだわりも様々であり、そうしたメーカーが非ビデ倫というだけで一緒くたにインディーズと総称されていたのが、当時の状況であった。

野外露出の危険な誘惑

90年代後半のインディーズ業界では、ぶっかけ、盗撮、スカトロなど様々なジャンルが盛り上がりを見せたが、その中でもこの時期のインディーズならではの現象だったといえるのが、野外露出ブームだった。

密室以外で裸になる、もしくは性行為をするという野外露出・屋外露出は、SMの定番プレイであったため、AVにおいても黎明期から撮影されている。

1984年に宇宙企画からリリースされた中村幻児監督による『SMを10倍楽しくする方法』では、すでに全裸での街頭散歩や電車内でのプレイが収録されているし、1985年にリリースされた『恥辱の女』(クリスタル映像)は、観光地で全裸の立川ひとみを引きずり回す野外調教が話題となり、村西とおる監督のブレイクのきっかけとなった。80年代後半にユニークなSM作品で異彩を放ったメーカー、スタジオ418は過激な露出プレイを得意とし、新宿西口や歩行者天国、都庁前の歩道橋などでセックスやフェラチオどころかローソクや浣腸などのSMプレイにまで挑戦している。

しかし次第に厳しくなるビデ倫の審査下では野外露出の撮影は難しくなっていった。

そんな中で1993年にBROADというインディーズメーカーから発売された『真・M女の昼』『真・M女の夜』という二部作は、真性M女優として一部で人気の高かった藤木美菜が過激な露出調教を受ける作品だ。


『真・M女の昼』(1995)

当時のBROAD通販カタログ(と言っても、コピー一枚だが)での紹介文を見てみよう。

「真・M女の昼」(BR001)
¥11000(送料、税込み)
 真性マゾ藤木美菜の野外露出プレー篇。首輪を付け、ノーパン、ノーブラで電車に乗り御主人様の命令により股を広げていく美菜…。
 乳首の透けた濡れTシャツ姿やラジコンバイブを挿入して街の中に放り込まれる…。
 露出プレーマニア必見の一作。

「真・M女の夜」(BR002)
¥11000(送料、税込み)
夜篇は同じく美菜の室内でのプレーが中心。衆人観衆の中でのオナニーや、御主人様とムチ、ロウソク、バイブ、アナルセックスなどみごたえ十分。モデル、内容とも最高レベル自信作!
※真M女の昼、夜2本セットは¥18000

紹介文からも透けて見える責め手のサディスティックでハードボイルドなムードと、露出の羞恥の快感に悶える藤木美菜の反応が素晴らしく、通販のみでの販売にもかかわらず大きな評判を呼んだ。

しかしBROADは1年足らずで解散し、ナチュラル、プールクラブ、ホロニックの3つのメーカーに分裂。それぞれ独自のスタイルの露出作品を追求していくこととなる。

BROADの成功に影響を受け、他のインディーズメーカーも野外露出物の制作に乗り出す。中でも名古屋のメーカー、ラハイナ東海が1996年からスタートさせた『屋外露出』シリーズは大ヒットを記録し、ここから露出ブームとも呼ぶべき盛り上がりが巻き起こる。


『屋外露出』(1996)

ぶっかけの雄、シャトルジャパンを擁するシャトルワンが別レーベルの流羽奴で『露出調教』『野外射精』などのシリーズを出せば、TMインターナショナルは熟女による『露出熟女』シリーズ、ギガは放尿をプラスした『野外放尿』シリーズなど様々なスタイルの露出シリーズが各メーカーで乱立した。

露出物は、その企画の性質上、どうしてもプレイの過激化を要求されてしまう。公共の場での露出は公然わいせつ罪に該当する犯罪だが、それでもどこまで危険な露出に挑戦できるのか、作り手は競い合うことになる。

そうした中で、より過激さを追求していたのがソフト・オン・デマンドだった。ヒット作の全裸シリーズ自体が露出要素を含んでいたが、『全裸バスツアー』(1997年)などは野外露出そのものになり、『東京下町の銭湯まで2Km 女の子3人 全裸で歩いて行けるのか?』(1997年)に至っては、タイトルどおりに全裸の女性3人が街の中を2キロも疾走するという公然ワイセツそのもののストリーキング作品だった。


『東京下町の銭湯まで2Km 女の子3人 全裸で歩いて行けるのか?』(1997)

そして「全裸露出」シリーズ、「過激露出」シリーズと、本格的に野外露出ジャンルへ進出。全裸に前を開けたコートだけの姿で通勤ラッシュの中を歩いたり、地下鉄の階段で立ったまま放尿するなど、その過激さは他の追随を許さないほどだった。

しかし、過激化のインフレーションの行く末には破滅しかないと判断したのか、ソフト・オン・デマンドは1998年の『最後の露出』で野外露出ジャンルから撤退を表明する。


『最後の露出』(1998)

この『最後の露出』は、全裸にバドガール風のボディペイントをしただけの姿で夕方の繁華街でビールを配る、完全に身体が透けて見える薄さのキャミソール姿で電車に乗り込んだりショッピングセンターで買い物をする、そして恵比寿ガーデンプレイスの動く歩道で服と下着を脱ぎ捨てて全裸になるなど、過激の極みを尽くした作品であり、確かにこれ以上の露出作品は不可能だと考えたのかもしれないと思わされるものだった。

そして、ソフト・オン・デマンドが露出作品から撤退すると、後を追うように、ほとんどのメーカーの撤退を決め、狂乱の露出ブームは沈静化していった。

〈参考資料〉

『インディーズ・ビデオ・ザ・ワールド’98』(コアマガジン、1998年)
『ビデオメイトDX』1998年10月号、1999年3月号、2005年1月号(コアマガジン)
『アダルトビデオ20年史』(東京三世社、1998年)
『ビデオ・ザ・ワールド』1996年9月号、12月号(コアマガジン)
『ビデオフリーク』(晋遊舎、1997年)
『ベストマガジンスペシャル』1999年12月号(KKベストセラーズ)