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春がいっぱい

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2022.02.08

19 インディーズの襲来[4]
薄消しビデオとキカタンブーム

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

『ルームサービス』が証明したもの

1990年代に入り、写真集や雑誌ではヘアヌードが実質解禁状態にあったにもかかわらず、ビデ倫は頑なに陰毛の修正を厳守していた。一方、ビデ倫の審査を受けていないインディーズビデオでは、陰毛や肛門に関しては無修正が当たり前。そしてモザイク自体もビデ倫審査のレンタルAVに比べて薄い傾向にあったため、それもインディーズ人気の理由のひとつとなっていた。

当初はフェチやSMなどのマニアックなユーザーに支えられていたインディーズビデオだが、次第にこうした修正の薄さに惹かれて購入するユーザーも増えていく。そうなると、内容もノーマルな男女のセックスを見せるといったストレートな作品が多くなっていった。1996年頃にはインディーズビデオは、一部のマニアを相手にするものではなくなっていたのだ。

その頃からレンタルショップ、セルショップでの摘発が相次ぐようになってきた。大手メーカーである桃太郎映像出版が警察の指導を受けるという事件もあった。当時は「薄消しの桃太郎」という異名で呼ばれるほど、消しが薄いことでも有名だった。

『ビデオ・ザ・ワールド』1997年2月号の桃太郎映像へのインタビュー記事でこの際の警察とのやり取りが語られている。

 消しの薄いものの方が売れますから、本当はギリギリのところまで薄くしたい。でも、法に触れるわけにはいかないから、警察の方に基準を示してほしい。今は警察にワイセツと言われたらおしまいなんですよ。だから明確な基準を示して欲しいと希望しましたが、それは難しいということでした。
 だけど、苦労はしましたけど、ある程度の基準がわかりましたから、今後は法律に触れないギリギリのところで消しを入れるということができるようになりました。
 簡単にいうと消しがずれるのと性器の形がわかるものはやっぱりダメなんですが。見た人によって挿入がわかったりわからなかったりするのは場合によっては許されるということでしたが、万人が見て挿入がはっきりわかるというのは指導の対象になるということでした。

そもそも日本の法律において「わいせつ」の基準が曖昧なため、警察としても明確な基準を示すことは不可能なのだ。それは現在においても変わらない。日本のAVは、その見えない基準線の付近をおずおずとうろつきまわるという自主規制を余儀なくされているのである。

しかし、インタビューの中でも語られているように「消しの薄いものの方が売れる」というのも現実だった。

1998年の初頭にハリウッドフィルムというメーカーから発売された「ルームサービス」というシリーズが大きな話題を呼んだ。

内容はデリへル嬢を呼んでセックスするだけというシンプルなものだった。しかし修正が極めて薄かった。「ニ、三メートル離れ画面を眺めると、あるのかないのか確認出来ないような薄いモザイク。性器や結合部が丸見え状態なのだ」(『オレンジ通信』1999年2月号)、「ズルむけのクリトリスやビラビラや穴までくっきり見えてしまうのだった」(『ザ・ベストマガジン』1999年4月号)などと、ライターたちが驚きの声を上げるほど、その修正の薄さは、それまでのインディーズビデオの常識を超えていた。

しかも「ルームサービス」シリーズ第1作目に出演していたのは、超人気AVアイドルであった小室友里だったのだ。

小室友里は、1996年に芳友舎のティファニーレーベルからデビューし、たちまち看板女優として人気を集めた。アイドル路線でデビューしながらもハードな作品にも出演し、90年代後半を代表する女優の一人とも言われていた。

1998年にはh.m.p(芳友舎が改称)との専属契約を解消し、様々なメーカーの作品に出演することとなった、その矢先に『ルームサービス』が発売されたのだ。

『ルームサービス1 【小室友里】』(1998)

レンタルAVで活躍しているトップ女優が、性器が丸見えになっているインディーズビデオに出演するという信じられない事件が起きたのだ。「ルームサービス」の他の作品も宇宙企画でデビューした森村りえ(東城みな名義)や、KUKIなどで活躍した夏樹みゆなど、レンタル系で人気の女優ばかりだった。

最初に発売された5タイトル5000本はあっという間に売り切れた。あまりの消しの薄さに小室友里の所属事務所から抗議が入るなどの事情もあり、再販分からはモザイクが濃くなったが、その分初回版は貴重ということでプレミア価格で取引されるようになった。裏ビデオとして販売されることすらあった。

以降もハリウッドフィルムは「ルームサービス」シリーズのリリースを続け、32作まで発売されたが同年10月に突然解散する。実はハリウッドフィルムは、日本ビデオ販売崩壊の後に佐藤太治によって作られた会社だった。しかし佐藤が住専に対する詐取容疑で逮捕されたことから解散へと追い込まれたのだ。

そして「ルームサービス」は、「薄消しは売れる」、そして「人気女優の出演作は売れる」という2つの事実をインディーズ業界に知らしめた。

『薄消し』というグレーゾーン

『ルームサービス』が発売された1998年、もうひとつの「薄消しビデオ」が話題となった。『すけべっ子倶楽部』(K’s)である。販売が開始されたのは『ルームサービス』よりも早い1997年だが、1998年3月に販売会社社長が猥褻図画販売目的所持容疑、制作者が児童福祉法違反、未成年への猥褻行為などで逮捕されたことで一躍その名を知られることになった。


『すけべっ子倶楽部06 ちえ・18才』(1998)

「すけべっ子倶楽部」シリーズは10代少女のハメ撮り物で全30作が作られ、タイトルには「ちえ・18才」など名前と年齢が書かれている。一番幼いのは第3作のNamiでなんと14才だ。少女の援助交際が問題となっていた時期であり、出演女性の容姿や反応などから強烈なリアリティを感じさせていたが、制作者が逮捕されたことで、逆に出演者が本当に未成年者であったことが証明され、多くのショップは商品の販売を中止したが、プレミア価格で販売する店もあり、『ルームサービス』初回版同様に「お宝ビデオ」として取引されるようになった。

『ビデオメイトDX』2004年8月号に掲載された、服役後の制作者のインタビューによれば、当初は1本あたり500本を目標としていたが、結果的にシリーズでトータル50万本以上販売したそうだ。

「ルームサービス」と「すけべっ子倶楽部」のヒットにあやかろうとモザイク修正の薄い「薄消しビデオ」が次々と作られるようになる。しかし「すけべっ子倶楽部」の摘発により、修正の薄過ぎる作品は裏ビデオ同様の違法商品であることは業者たちも認識していた。薄ければ売れる、しかし薄過ぎれば逮捕されてしまう。薄消しビデオは、そのグレーゾーンを突き進んだ。

1999年になると「プレミア」(ワイエム商会)、「COOL」(インタージャパン)などのシリーズが発売されヒットする。前者はレンタルAVの流出素材に極薄モザイクをかけたものであり、中にはTV番組『ギルガメッシュないと』で人気の高かった憂木瞳の出演作もあった。後者は撮り下ろしだが、レンタル系の人気女優が多数出演。息の長い活躍をした小泉キラリも、菅野桃名義で出演している。

どの作品も気をつけて見ないと、モザイクが確認できないほどに修正が薄く、ほとんど裏ビデオと変わらないレベルであり、裏ビデオよりも画質がよいという理由で薄消しビデオを選ぶユーザーも多かった。

1999年から2000年にかけて多くのメーカーが乱立し、毎月数十本の新作が発売されるようになるが、ショップや制作者の摘発も相次ぎ、一般的なセルショップでの取り扱いは減少していく。

薄消しビデオ情報を定期的に扱っていた『ビデオメイトDX』1999年9月号に、読者からの質問に答える形で薄消しビデオを販売しているショップについて書いている。

〔前略〕残念ながら東京近郊では数軒しか扱う店を確認しておらず、そこを見つけられなきゃ買えません。ちなみに区内では2〜3軒しかない模様です。首都圏では競合店が近くにあるので、ヘタに扱うとすぐにチクられてしまうからなのだとか。国道沿いとかにポツンポツンある地方のショップの方が置きやすいんでしょうね。後、裏ビデオショップでも扱う店が増えてきそうなので、歌舞伎町とかで探して見るのも手かも。

それだけ売る店が少なくても、市場が成り立っていたということにも驚かされるが、グレーゾーンではありながらも、もはや扱いは完全に裏ビデオと変わらなくなってきている。実際、この頃以降の薄消しビデオは、ほとんどが裏ビデオ店で販売されるようになっていく。

そして、2003年頃には薄消しもDVDの時代になっていくのだが、その時点で裏ビデオもDVD化が進み画質が向上していた。そうなると薄消しの存在意義は薄れてしまい、やがて姿を消していった。

その後、裏ビデオとして流通した作品の中には、よく見ると局部のあたりが若干ぼんやりしているものがあるが、それは薄消し作品である。もはや薄消しと裏の境界線は、ほぼ無くなっていたのだ。

キカタンの誕生

AV情報誌『オレンジ通信』が毎年発表している年間ベスト10は、当時AV業界では最も大きな賞だった。作品賞や監督賞、男優賞などもあったが、やはり注目されるのは女優賞だった。

この賞は『オレンジ通信』がビニ本、裏本、裏ビデオなどの情報が中心だった1985年に「読者が選ぶモデルベスト1」として始まっているが、1989年からはAVアイドル賞となり、その年を代表するAV女優が選出されていた。

そして2001年にAVアイドル賞に輝いたのが長瀬愛だった。彼女の受賞は大きな事件だったのである。それは長瀬愛が企画女優だったからだ。

AV女優は「単体女優」「企画女優」の2種類に分けられる。

単体女優は、いわゆるAVアイドル的な女優であり、その子の名前で作品を撮ることができる存在だ。もともとはエロ本のグラビアなどで、他の女優や男優とのカラミじゃなくても、「単体」だけで勝負できるルックスの優れたモデルということから、その名称が生まれた。

2000年代以降は、メーカー専属の女優を「単体女優」と呼ぶようになったが、それまでは複数のメーカーに出演するのが普通だったため、単に人気の高い女優という意味あいが強く、モデルプロダクションが「単体」だと言えば単体になる程度の曖昧な分類だった。

一方、企画女優は素人役など、特に名前も表記されず、複数の人数で出演するといった無名の女優を指した。企画物とは、その女の子のネームバリューよりも、女子高生、痴漢、乱交といったテーマが重視されるAVを指し、そういった作品に出演するため、企画女優と呼ばれたのだ。

当初、インディーズは、人気の単体女優を起用することが出来ず、無名の企画女優ばかりが出演していた。もしくはレンタルで人気が無くなった女優が出演し、「レンタル落ち」(「セル落ち」とも)などと呼ばれていた。インディーズに出演する女優は、レンタルAVに出演している女優よりも格下というムードが強かった。

その中で、1998年にソフト・オン・デマンドと12本契約を結んでデビューした森下くるみは、異例中の異例の存在だったのだ。しかし彼女がインディーズ出身女優として初めて『オレンジ通信』AVアイドル賞(1999年度)を獲得したことも時代の変化を象徴するものだったのだろう。

長瀬愛は1999年から活動を開始。この年にオーロラ・プロジェクトから発売された『純情女子高生 ゆうか18才Cカップ』が密かな話題を呼び、2000年にその続編的な『ゆうか・ふたたび』で大ブレイクを果たす。松嶋菜々子似ということで様々な雑誌に取り上げられたこともあった。


『純情女子高生 ゆうか18才Cカップ』(1999)

あどけない顔立ちと小柄なボディ、彼女の代名詞となる騎乗位での激しい腰使い、そして屈託のない明るいキャラクターで長瀬愛はたちまちインディーズのアイドルとなっていった。

この年の『オレンジ通信』AVアイドル賞は、1位の長瀬愛を始め、2位に笠木忍、6位に七瀬ななみ、9位に桃井望、10位に長谷川留美子とインディーズを中心に活躍する企画女優が5人もランクインしていた。


『オレンジ通信』2002年2月号

メーカーが推す単体女優と違って、企画女優は雑誌のグラビアに登場することも少ない。それどころか作品に名前がクレジットされないことも珍しくないのだ。

「あの可愛い子は誰だろう?」というユーザーの口コミや、売れ行きを見たショップのプッシュなどで人気は自然発生的に生まれるのだ。当時、急速に普及が進んだインターネットもこうした口コミの後押しをしたのかもしれない。

この頃から、企画女優の中でも、名前で作品が売れるような人気の高い女優を「企画単体女優」、略してキカタンと呼ぶようになった。『オレンジ通信』2001年度AVアイドル賞はキカタンにジャックされたと言ってもいいだろう。

誰ともなく、長瀬愛、笠木忍、桃井望、堤さやかの4人を「キカタン四天王」と呼ぶようになった。この頃のインディーズはブルセラ的な作品が多かったため、この4人は全員ロリ系モデルだったが、他にもエキゾチックな美女の朝河蘭やギャル系のうさみ恭香、痴女系の坂口華奈なども人気が高かった。翌年の『オレンジ通信』2002年度AVアイドル賞に輝いた及川奈央も宇宙企画でデビューしたレンタル系単体女優だったが、2001年からインディーズ中心のキカタン的な活動になってからブレイクしている。


『minxとあっそびっましょっ!』(2003)

2002年には長瀬愛、堤さやか、桃井望、樹若菜の4人でアイドルグループ「minx」を結成しCDデビューも果たす。


minx『minx DEBUT!』(2002)

可愛い女の子を見たいならレンタルAV、マニアックなプレイや企画を楽しむのがインディーズという棲み分けも、もはや崩れてきていた。

〈参考資料〉

『オレンジ通信』1999年2月号、2000年2月号、2002年2月号、2003年2月号(東京三世社)
『ビデオメイトDX』1999年5月号、9月号、2004年8月号(コアマガジン)
『ビデオ・ザ・ワールド』1997年2月号(コアマガジン)
『ザ・ベストマガジン』1999年4月号(KKベストセラーズ)
『インディーズ・ビデオ・ザ・ワールド’98』(コアマガジン、1998年)
『いやらしい2号』(データハウス、2000年)
『インディーズのおんなのこVol.1』(コアマガジン、2002年)
『インディーズ王Vol.1』(東京三世社、1999年)
『裏モノFILE 1999〜2000』(東京三世社、2000年)