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春がいっぱい

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2022.02.16

20 インディーズの襲来[5]
DVDと逆輸入無修正

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

VHSからDVDへ

その月の7日には早くも芳友メディアプロデュース(元・芳友舎、現h.m.p)が初のアダルトDVDである『桃艶かぐや姫・危機一髪 絶頂!どんでん返し 小室友里』を発売。また、その前の10月には村西とおるが1億5000万円を投じて4時間16分の超大作『北の国から・愛の旅路』(日本映画新)を発売しているが、こちらは一応エロティックVシネマということになっている。

スタートダッシュは早かったアダルトDVDだったが、当時はDVDプレーヤーも高価だったため普及もなかなか進まず、依然として主流はVHSであった。

ブレイクスルーとなったのは、2000年のソニー・プレイステーション2の発売だろう。39,800円という価格で高画質のゲームも出来て、DVDもみられるとあって、発売から3日間で100万台近くを売り上げる空前の大ヒット商品となり、当時はゲームソフトもまだ少なかったため、これでDVDを見ようというユーザーを一気に増加させたのである。

とはいえ、AVにおいてはVHSからDVDへの移行はなかなか進まなかった。1997年からDVDをメインにしていたTMAのようなメーカは一部であり、多くのメーカーはあくまでもVHSの副次的な存在としてDVDを捉えていた。

この頃のアダルトDVDは、VHS商品の再編集版が主流であり、オリジナルのDVD作品はマルチアングルやマルチストーリーといったDVDの特性を活かした内容の作品が多かった。VHSと差別化をしなければ、DVDには手を出してもらえないという考えがあったのだろう。

『ビデオメイトDX』2001年9月号の「アダルト映像新世紀」というコーナーを見ると、当時のメーカーがいかにDVDの機能を活かすことに苦心していたかがわかる。

例えば、ソフト・オン・デマンドの『制服・下着・全裸 マルチ画面ストーリー学校編』は、一つのストーリーを出演女優が制服を着たバージョン、下着バージョン、全裸バージョンを切り替えて見ることが出来るという作品。つまり同じシーンを3回繰り返して撮影しているわけだ。


『制服・下着・全裸 マルチ画面ストーリー学校編』(2001)

桃太郎出版映像の『体感ファックif…3 処女を捧げるロリ少女編 高野まりえ』は、選択肢を選んでいくことでストーリーが変化していくという本格マルチストーリー作品で、全編一人称カメラということもあり、PCの美少女ゲームの実写版とも言える。


『体感ファックif…3 処女を捧げるロリ少女編 高野まりえ』(2001)

同じく『ビデオメイトDX』2002年4月号の「アダルト映像新世紀」で紹介されている『耳をすませば〜聞いて感じて』は、浅倉みるく、西村あみ、水野奈菜の3人と同時にプレイするシーンで、特に誰に舐めてもらいたいのか、誰に挿入したいかを選べる。


『耳をすませば〜聞いて感じて』(2002)

レイデックスの『接吻OL〜キスしてあげる』では、通常のモザイクと、ナチュラル肌色モザイク(ソラリゼーション)を選択できる。


『接吻OL〜キスしてあげる』(2002)

そしてディープスの『絶世の美脚クィーン2 長谷川留美子』は、マルチアングルで足先のアップだけを延々と見ることができる脚フェチモードもある。

こうした機能を活かした撮影はどうしても作業量が増え、コストもかかる。業界誌である『DVDパーフェクト』(日本ビジュアルソフト販売)2003年9月号で、前述のようにいち早くDVDを手がけていたメーカー、TMAがその苦労について語っている。

TMA:DVDにはマルチアングルだとかマルチストーリーといった機能が付加できるので、そういった機能を盛り込んでやろうとなると手の込んだことをしようとするじゃないですか。そうすると話が複雑になり、撮影前日にシナリオを読んだときに「これじゃ辻褄が合わない」というようなところが出てきて、夜中まで打ち合わせに追われるなんてことも始めた当時は多かったですね。そのような試行錯誤をしながら、何がユーザーに受け入れられるのか、製品化しテストしてきました。それは今も続行中なのですが、結局行きつくところは、アダルトユーザーというのは機能だとかゲームだとかいうところよりも、どれだけエロいかというところを見ているのではないかと思うんです。(TMA代表取締役)

TMAが語っているように、マルチアングル、マルチストーリーなどのDVDならではのインタラクティブ性は、AVユーザーの求めるものではなかった。次第にこうした機能は影を潜め、VHS版に比べて特典映像が付いているなど、長時間性を売りにするDVD版が主流になっていく。

それは90年代初頭のCD-ROMブームの際に、当初はインタラクティブ性を強調するも、単に大容量の動画を収録した作品の方が売れるようになっていった過程を思い起こさせた。

しかし、長時間収録、そしてチャプターによって目的のシーンへすぐに飛ぶことができるという機能は、後のAVの内容を変えてしまうほどの影響を与えることになるのだが……。

VHSとDVDのシェアが本格的に入れ替わったのは2004年頃からである。AVユーザーへのDVDプレーヤーの普及はなかなか進まなかった。桃太郎映像出版も2002年のインタビューでその苦労を語っている。

〔前略〕で、やっぱりDVDだから見られる映像、VHSじゃ見られない映像、って言う形でやりたいなと思うんですけど……。ただ、DVDだけしか出ていない作品だとVHSのお客さんから『DVDでしか見れないの?』って言われますし、VHS作品だと『DVDに』って要望もかなり多いんですよね。そうすると、やっぱり出さなきゃいけないのかなって(笑)(『ビデオメイトDX』2002年5月号)

2000年から2004年くらいまでは、DVDとVHSの両フォーマットを販売するメーカーが多かった。それはコスト的にも負担は大きかったのだが、当時のユーザーのニーズに応えるには、それしかなかったのだ。当初はDVDのみの販売だったTMAなども2000年からはVHSの販売も始めている。

2004年10月にソフト・オン・デマンドがVHSの販売を終了し、DVDのみのリリースに切り替えることを宣言。他のメーカーも次々とVHSから撤退する。ただし、FAプロやセンタービレッジなど、ユーザーの年齢層が高いメーカーは、かなり後までVHSの販売を続けていた。

レンタル系メーカーもDVDに関しては、ビデオレンタルショップの対応が遅れたこともあり、セル中心の販売となっていた。むしろ単体に強いレンタル系作品の方がDVDは強いという状況もあった。好きな女優の作品は高画質で手元に置いておきたいというファン心理が働くのだろう。

その一方で、この時期になると、ソフト・オン・デマンドをはじめとするセル系メーカーも、レンタルを開始していた。

規模の大きなメーカーが増えてきたため、「インディーズ」という名称もそぐわなくなり、非ビデ倫系メーカーは「セル」と呼ぶことが多くなっていたのだが、実際にはこの時点で既に状況的には「レンタル」VS「セル」とも分類出来なくなっていたのだ。

無修正が海外からやって来た

かつて「表ビデオ」などと呼ばれていたAVがメジャーなものとなった後も裏ビデオは根強い人気を誇っていた。

しかし90年代に入ると、AVの修正を入れる前の素材映像が何らかの理由で裏ビデオとして流通してしまう「流出モノ」が主流となり、撮り下ろしの裏ビデオは消滅してしまう。

流出モノは、画質も劣悪であり、修正前提で撮影されているため、局部がよく見えないアングルばかりと、裏ビデオとしては見るに耐えない作品がほとんどだったが、それでも有名女優の無修正という魅力は、無名女優による撮りおろし作品よりも上だったのだろう。全盛期には年間300タイトルもの流出モノが裏ビデオとして流通した。

90年代半ばには、援交ブーム、ブルセラブームの影響で、『制服少女達の放課後』『援助交際白書』シリーズなど、未成年をハメ撮りした撮り下ろしの素人物が人気を集めるようになる。

そして1998年に、日本のセルメーカーがサムライ、タイフーンといったアメリカのメーカー用に無修正作品を制作し、海外で販売されるが、すぐに逆輸入され、国内で裏ビデオとして流通される。正規の商品として制作されたため、画質も内容もよく裏ビデオファンを狂喜させた。

1999年末にはKカップの藤原史歩(瀬名さくら)や、人気キカタン女優の藤森かおりなどが出演した撮り下ろしの『グリーンファンタジー』シリーズがリリースを開始し、大ヒットとなる。『ビデオ・ザ・ワールド』の2000年裏ビデオ上半期ベスト10では上位3位を『グリーンファンタジー』が独占した。

2001年には国産裏DVDの第一号『D-mode Vol.1 Passion よしおかめぐみ』が発売される。主演は、よしおかめぐみとクレジットされているが、2000年に宇宙企画から単体デビューした小野寺沙希。


『D-mode Vol.1 Passion よしおかめぐみ』(2001)

その登場を報じた『オレンジ通信』2001年8月号の記事を見ると、当時の衝撃の大きさが伝わってくる。

6月中旬、新宿・歌舞伎町の裏ビデ・裏本ショップにひとつの商品が並んだ。「Passion」というタイトルのDVDソフト。これこそ日本で初、オリジナル撮り下ろしの完全無修正裏DVDソフトである。〔中略〕劣化のないデジタル技術で撮り素材そのまま無修正の鮮明さと迫力は、長らく続いた裏ビデオの時代にとどめを刺すのか。〔後略〕

〔前略〕小野寺の反応も良好で、ゴム付きチンポを出し入れされ白濁マン汁垂らすその部分を超アップで鑑賞出来る。たかが無修正、されど無修正。見ればわかるそのすさまじさ。〔後略〕

13,000円という価格にもかかわらず、あっという間に売り切れ、その後はDVD−Rのコピー版が流通した。

2002年になると裏ビデオもDVDがメインとなっていく。その移行は「表」よりも早かったかもしれない。

そしてその年の秋、インターネットのファイル共有ソフトWinnyに、とある動画が登場した。それは及川奈央の無修正動画だった。及川奈央は2000年に宇宙企画から単体デビューし、その後、キカタン女優として大人気となり、『オレンジ通信』2002年度AVアイドル賞を受賞している。つまり人気絶頂のAVアイドルの無修正動画がネットに流出したということだ。

その映像はDVD化され『Legend 及川奈央』のタイトルで裏ビデオ屋で販売されることになる。現役トップAV女優の無修正DVDということで当然のように空前のヒット作となった。


『Legend 及川奈央』(2002)

この時期、99bbやアジアンホット、Jxp.comといった海外発信の動画配信サイトも次々と誕生し、日本人向けの無修正動画を配信するようになっている。

無修正は、インターネットによる配信へと動きつつあった。そしてそれは、VHSからDVDへの移行と同じく、「表」よりも早いスピードだったのだ。

流出、撮り下ろしを問わず、有名女優が続々と無修正に登場していた。

2009年に27年間の歴史に幕を下ろした『オレンジ通信』最終号(2009年3・4月合併号)掲載の、石井始編集長や裏モノに強いライターの森ヨシユキらが平成のアンダーグラウンドシーンを振り返る「裏モノ総括座談会」でこの時期のことをこう語っている。

オレ通:このあたりから無修正は単体偏向主義というか、有名無名を問わずカワイコちゃん路線が王道になってきました。
森:知名度優先になるのはある意味必然なんだろうけれど、その分ヌルいものもあったりして評価を落としていたのは否めなかった。〔中略〕今じゃ考えられないけれど、当時はまだ無修正イコール裏ビデオという認識が強くて女優もダクションも拒否反応強かった。
石井:5年という歳月は色々なものを変えたけれど、その最たるものは事務所の意識じゃないかな。今じゃ率先して女優口説いて無修正に出そうとしてるしね。

無修正シーンはますます活気を増していき、この時期以降は有名女優が出演することが珍しくなくなっていた。

インターネットが普及したことで、見ようと思えば誰でも無修正ポルノを見ることが出来るようになった2000年代。ある意味で、この時に日本は既に実質的なポルノ解禁時代を迎えていたのかもしれない。

〈参考資料〉

『ビデオ・ザ・ワールド』1996年11月、2001年8月号(コアマガジン)
『DVDパーフェクト』2003年9月号(日本ビジュアルソフト販売)
『ビデオメイトDX』2001年9月号、2002年4月号、2002年5月号(コアマガジン)
『オレンジ通信』2001年8月号、2009年3・4月合併号(東京三世社)
『女優別裏DVD大全集2000~2009』(コアマガジン、2009年)
『裏モノFILE 1999~2000』(東京三世社、2000年)