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春がいっぱい

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2022.02.24

21 レンタル vs. セル[1]
女優の時代へ

安田理央

1981年に発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』にはじまるとされるアダルトビデオは、その誕生から今年で40年を迎える。欧米のポルノビデオとはまったく異なる独自の進化/深化をたどり、世界の性産業に影響を与える日本のエロビデオ文化を、アダルトメディア研究家の安田理央が、その前史から現代に至るまで、メディア、流行、社会状況、規制との駆け引きなど多様な視点から歴史化する連載。

女性が男性の乳首を舐め始めた

AVに「痴女」というジャンルが誕生したのは90年代半ばだった。80年代にも黒木香や豊丸といった積極的に快楽を追求しようとする「淫乱」女優は存在したが、現在のAVで使われている「男性を責めることで興奮する」という「痴女」の定義からは微妙に外れる。彼女たちは、いわば「プレ痴女」とでもいうべき女優たちだろう。

90年代半ばの第一次痴女ブームの発端は、1991年からスタートした「性感Xテクニック」シリーズ(アテナ映像)だった。監督は「いんらんパフォーマンス」シリーズで淫乱ブームを牽引した代々木忠。


『性感Xテクニック』(1991)

当時、密かに盛り上がりを見せつつあった性感マッサージ(美療性感)という風俗で人気であった南智子という風俗嬢を主役に据えたシリーズだった。AVの主役女優でありながら、南智子は脱いだりセックスを見せたりはしない。言葉とフィンガーテクニックだけで、百戦錬磨の男優たちを、女の子のように喘がせ、痙攣するほどの快感を与えてしまったのだ。現在のAVの「痴女」に見られる言葉責めのスタイルは、この次点で既に完成している。

男性が女性に責められて快感に身悶える姿はそれ以前のAVではほとんど描かれることがなかった。しかし代々木忠は「性感Xテクニック」シリーズで、そうした男女の立場が入れ替わった姿を描き出したのである。

「痴女」という言葉がAV業界に定着したのは1995年からスタートした「私は痴女」シリーズ(クリスタル映像)のヒットがきっかけだろう。これ以降、タイトルに「痴女」をつけた作品が急増している。


『私は痴女 あなたの触らせて』(1995)

「私は痴女」シリーズの監督はハメ撮りのスタイルを完成させたことでも知られるゴールドマンだ。1994年から始めた「THEフーゾク」シリーズ(クリスタル映像)の撮影で、性感マッサージのプレイに触れたゴールドマンは、それがかつて好きだったエロ漫画に登場する色情狂の女性像そっくりだったことに衝撃を受け、そんな女性たちが登場するAVを撮り始めたのだった。

男性が女性に性的に襲われる姿を、ややコミカルに描いた「私は痴女」シリーズは、エンターテインメント性も高く、大きなヒットとなり、多数の類似作品が後に続き、AVに「痴女」というジャンルを生み出した。

そして第二次痴女ブームは、インディーズを中心に盛り上がりを見せる。フェチ的なテーマに強い当時のインディーズの中では人気ジャンルであった「痴女」だが、1999年にワープ・エンターテインメントが「「痴」女優」というシリーズをヒットさせたことで、そのニーズ層が一気に広がった。

ワープ・エンターテインメントは、それまでマニアックなジャンルだと思われていた「ぶっかけ」に人気の単体女優を起用した「ドリームシャワー」シリーズでブレイクしたメーカーだった。マニアックなジャンルの作品は、企画女優が出演するのが当然だという当時の常識を覆して大ヒットを飛ばしている。「「痴」女優」でも、その方法論を応用し、第1弾に宇宙企画でデビューした秋野しおりを起用。その後も麻宮淳子、瞳リョウなどの人気単体女優を登場させてヒットした。


『「痴」女優 秋野しおり』(1999)

以前から「淫語しようよ」「うぶな女のチンチン研究」シリーズなどで、痴女的なアプローチを得意としていたソフト・オン・デマンドも、「「痴」女優」に対抗するように単体痴女シリーズの「「痴」女」をスタートさせる。

その第5弾『「痴」女 Vol.5 日色なる』を監督したのが、二村ヒトシだった。

二村ヒトシは80年代からAV男優として業界入りし、1995年から監督としても活動するようになった。当初は安易なハメ撮り物ばかり撮っていた二村だが、ソフト・オン・デマンドで単体女優を使った痴女物を撮影する機会に恵まれる。その時のことを二村はこう回想している。

〔前略〕高橋がなり氏の前で、僕は、自分がどういうビデオを撮りたいのか説明していたんです。そしたら、がなり氏は「二村さん、それはセルビデオの世界では『痴女』というんだよ」と教えてくれました。(『ビデオメイトDX』2010年5月号)

二村は幼少の頃から強い女性に憧れを持ち、男優として活躍している時も、勃起しない時は女優に乳首を舐めてもらっていたと言う。

ところが僕が女優さんに頼み込んで乳首なめてもらっていると、当時の監督さんはカメラを止めてしまう。「勃ち待ちだ」という認識なんです。いや、もちろんそのとおりなので、当時のAVにはそんなカットは必要なかったのでしょうが、僕は乳首なめてもらってちんちん勃てながら「もったいないなー。これがいちばんエロいのになぁ」と思っていました。「おれが監督になったら、こればっかり撮るのになぁ」とも思いました。(『ビデオメイトDX』2010年5月号)

現在では当たり前となっている女性が男性の乳首を舐めるという行為も、90年代までは全く無視されていたのだ。

自分の監督作品で、二村は乳首舐めも押し出した。2001年の『痴女行為の虜になった私たち3 巨乳女医は男の乳首が好き』(ソフト・オン・デマンド)では、特に男性の乳首責めを大々的に扱っている。とはいえ『ビデオメイトDX』2001年6月号でこの作品をとりあげたライター5人によるクロスレビューでは、ほとんど乳首責めについて触れている者がいなかったところを見ると、まだこの時期では男性の乳首は重視されていなかったとも言えるだろう。

しかし、痴女物がその人気を拡大していき、痴女的なプレイが一般化していくに連れ、男性の乳首を女性が責めることは特別ではなくなり、やがてデビュー作の初めてのセックスでも、女性が何のためらいもなく男優の乳首を舐めるまでになっていくのだ。

女優志向を強めるAV業界

二村ヒトシは「痴女行為の虜になった私たち」シリーズ(ソフト・オン・デマンド)など複数の女優に1人の男性が責められる集団痴女物でヒット作を連発していく。2002年には『オレンジ通信』監督賞も受賞し、一躍人気監督となった。さらにKINGDOMやK*WESTといった若手監督も痴女作品を成功させ、第二次痴女ブームが訪れる。

レンタル系が中心だった第一次痴女ブームの際は、ややコミカルな描き方をされていたこともあり、キワモノ的な扱いで出演するのも風俗嬢や企画女優ばかりだったが、第二次痴女ブームでは女優に注目が集まった。

受け身が基本である普通のAVと違って、痴女物では女優が積極的にプレイを進行していかなければならないし、愛撫のテクニックも必要となる。そして何よりも淫語責めのスキルが要求されるのだ。卑猥な言葉を並べていく淫語責めは、独自の言語感覚と頭の回転が試される。

『いやらしい2号』第2巻(データハウス、2000年)というムックには、村田らむによる『「痴」女 Vol.5 日色なる』の現場ルポが掲載されているのだが、そこで主演の日色なるが、淫語を連発しているうちに気が滅入り、ナーバスになってしまったために撮影が中断するという下りが描かれている。慣れない女性にとっては、淫語を言うという行為はそれほど負担になるのだ。


『「痴」女 Vol.5 日色なる』(2000)

痴女物は女優のスキルや性格によって、その完成度が左右されることが多く、そのため痴女物で人気を集める女優も出てくる。

2002年には三上翔子、2003年には姫咲しゅり、桜田さくら、そして2004年には紅音ほたる、立花里子、乃亜などがデビューし、痴女系女優として活躍する。

さらに如月カレンや穂花のように、痴女的なプレイに定評がある人気単体女優も登場し、痴女=企画女優という公式も成り立たなくなってきた。

というよりも、森下くるみや南波杏と言った超人気単体女優もハードな企画作品に出演するようになってきたのがこの時期だ。キカタンブームを経て、単体女優と企画女優の境界線が曖昧になりつつあった。

人気女優が起用することができないために企画の独自性で勝負してきたインディーズ=セルビデオだったが、キカタンブーム以降は女優の人気がその売り上げを左右するようになってきていた。

そしてこの時期の大きな動きとしては、2002年のケイ・エム・プロデュース(kmp)の参入だろう。久々のビデ倫加入の新メーカーが誕生したということで注目を集めた。第1弾が『24人の堤さやか』だったことからもわかるように当初は企画単体女優中心のラインナップで、20作品240分を収録したベスト版DVDを980円という価格で発売して話題となった。

kmpはビデ倫メーカーではあったが、当初からレンタルと並行してセル、そしてDVDに力を入れているという新しいタイプのメーカーでもあった。

そしてkmpは及川奈央、長谷川瞳、早坂ひとみ、神谷沙織、紋舞らんと専属契約を結び(長谷川瞳と紋舞らんはレンタルのみの専属)、一気に単体メーカーへと舵を取る。この5人でミリオンガールズというユニットも結成し、メインレーベルである「ミリオン」の看板としてアピールした。

kmpは「楽しく見れてしっかり抜ける」というコンセプトを掲げ、エンターテインメント性の高い作品をリリースしていった。及川奈央と森下くるみの『ヌードの森 メモリアルレズビアン』、早坂ひとみと小沢菜穂の『ベストフレンド』、ミリオンガールズの5人が出演する『ミリオンガールズのマジカルミステリーツアー』といった単体女優共演作や、大掛かりなセットを使った「完全なるイカセ4時間」シリーズなどの豪華な大作を連発。中でも紋舞らんを当時人気絶頂だったアイドル松浦亜弥のそっくりさんに仕立て上げた「あやや・コス」シリーズはその徹底したコスプレと演出が話題となった。


『ミリオンガールズのマジカルミステリーツアー』(2003)

『あやや・コス 紋舞らん』(2003)

kmpは00年代のAVを代表するメーカーのひとつとなった。

エスワンの衝撃

2004年のAV雑誌10月号数誌にいきなり12ページぶち抜きの広告が掲載された。しかも、それは11月に発足する新メーカーの広告であり、登場しているのは8人の新人女優だった。


AV雑誌に掲載されたエスワンの広告(『オレンジ通信』2004年9・10月合併号)

そんな前代未聞の派手なデビューを飾ったのは「S1(エスワン)」というメーカーであった。

エスワンは当時、大手セルメーカーとして頭角を現していたムーディーズと同じ、北都という会社に属するメーカーだった。

北都は90年代に石川県で発足したAVメーカーで当初はビデ倫に加入していたが、1997年に脱退し、インディーズメーカーとして活動する。

『インディーズ・ビデオ・ザ・ワールド’98』(コアマガジン、1999年)のインディーズメーカー64社紹介のコーナーを見ると、北都は「特価ビデオの最大手と言うべきか。実体のわからないレーベルの元締め」と書かれている。この頃の北都は、粗悪な作品を大量にリリースしている怪しいメーカーに過ぎなかったのだ。

しかし2000年に「ムーディーズ」レーベルを前面に押し出した方針に転換する。8月にはたけし軍団のガダルカナル・タカが司会を務める発足会見をおこない、第1弾は麻宮淳子、鈴木真奈美、三浦あいか、金沢文子という四人の単体女優が共演する『Chaos -色情四姉妹-』という二本組の大作。さらに9月には200人乗りの大型クルーザーをチャーターしての「ムーディーズガール選考会」をグアムで開催、レンタルで人気の単体女優・藤崎彩花と11本契約をするなど、派手な話題を振りまき、たちまち人気メーカーへとのし上がっていった。ハードなプレイの学園物『ドリーム学園』のようなヒットシリーズも生まれ、『ビデオメイトDX』2004年5月号では、3年8ヶ月にわたって「読者が選ぶ人気メーカーランキング」の首位を独占していたソフト・オン・デマンドを押しのけてムーディーズがトップの座につくまでになった。

そんな状況でのエスワンの登場である。12ページぶち抜き広告が掲載された『ビデオメイトDX』2004年10月号では、プロデューサーのE-YO!渡辺がインタビューに答えている。渡辺はムーディーズのプロデューサーだった。

これだけセルメーカーの市場が大きくなったにもかかわらず、現実的にはレンタルデビューの女優さんが大多数を占めています。この業界にAVアイドルを送り出しているのは、ジャパン・ホーム・ビデオさん、マックス・エーさん、芳友舎さん、KUKIさん、メディアステーションさんなどの大手ビデ倫メーカーなんですよね。要するにセルメーカーは新人を育てていくことの比重が低かったその結果だと思います。

レンタルでデビューした女優に頼っているのがセルの現状であり、それを打破してセル生え抜きの女優を生み出していくのが目的だということである。そのための新人8人一挙デビューだった。

しかし11月号では、その8人に加えて、レンタルメーカーで人気の単体女優である小倉ありす、蒼井そら、小川流果の3人の移籍が発表された。

11月11日にエスワンの第1回リリース11作が発売されると、業界に衝撃的なニュースが走った。

11作のうちの1作である『セル初 蒼井そら ギリギリモザイク』が即日完売し、結果的に10万本という売上を記録したのである。それは日本のAVが決してたどり着くことのできなかった前人未踏の数字だった。


『セル初 蒼井そら ギリギリモザイク』(2004)

これはエスワンにとっても想定外のヒットだったらしい。『ビデオメイトDX』2005年2月号でのE-YO!渡辺のインタビューでも驚きを隠していない。

〔前略〕今まで僕が業界でやってきた経験に即して言うと、こういう大きな数字がAVで出るのかと驚きました。チョットありえないことです。こちらの思っていたよりも、彼女に対するユーザーの期待感が大きかったのでしょうね。〔中略〕売れた要因はいろいろあると考えられますが、結局は見えないモノが見えたという、すごく単純なことじゃないでしょうか。極論ですけど、蒼井そらのアナルを10万人が見たかったということだと思います。

この時点ではビデ倫はヘアとアナルを解禁しておらず、モザイクも大きかったため、特に人気の単体女優においては、疑似本番が当たり前という状況であった。

ビデ倫レンタルメーカーで活躍していた女優のヘア、アナル、そして本番を見ることができるということがAVユーザーにとって大きなセールスポイントとなったのだ。あまりにもシンプルではあるが、そこに10万人のニーズがあった。

ちなみに当時のエスワンのキャッチフレーズは「オチンチン入れちゃうセルメーカー」と、極めてストレートだった。

「セル発」をコンセプトとしたエスワンだったが、ユーザーに熱狂的に受け入れられたのは「セル初」だった。

そして今後しばらく、AVで最も売れるジャンルは「セル初」となったのである。

〈参考資料〉

『ビデオメイトDX』2000年9月号、10月号、11月号、12月号、2001年6月号、2004年5月号、10月号、11月号、2005年2月号、2010年5月号
『オレンジ通信』2002年10月号、2004年9・10月合併号(東京三世社)
『いやらしい2号』第2巻(データハウス、2000年)
『インディーズ・ビデオ・ザ・ワールド’98』(コアマガジン、1999年)
『AVオープン公式ガイドブック』(東京三世社、2006年)